近年、記憶のメカニズムが明らかになるとともに、どうすればよりたくさんのことを記憶できるのか、忘れずに覚えていられるために何をすれば良いのかなども解明されつつあります。今回は、食事、運動、睡眠といった私たちの日常生活に深く関係する習慣と記憶との関係性についてお伝えします。
記憶力を高める食事の習慣
食事や栄養素の脳のはたらきや記憶に対する影響については、さまざまな仮定や示唆がありましたが、かつては検証が困難・不可能とされていました。しかし、近年では遺伝子群の同定、遺伝子操作技術、神経科学的な解析手法などが進展しており、さらに画像化・視覚化技術や分子生物学、行動学、電気生理学などの手法を多様に組み合わせることで、脳における記憶の仕組みが明らかになりつつあります。※1、2
具体的には、記憶に必要な栄養素として、ビタミンA、ビタミンB1、マグネシウム、トリプトファンなどが重要な役割を担っていることがわかってきました。※1、2
ビタミンA(レチノール)
ビタミンAは生体内で、ATRA(all-transレチノイン酸)と9-cisRA(9-cisレチノイン酸)に代謝されます。レチノイン酸の重要な役割として、神経系、特に脊髄の発生・分化があります。また、ビタミンAが欠乏した場合の症状として、暗順応の障害により暗いところが見えにくくなる「夜盲症」がよく知られています。これらのことから、ビタミンAは脳神経系に深く関連していることがわかります。※1
ATRAと9-cisRAの核内受容体であり、生理作用を発揮するRAR(レチノイン酸受容体)とRXR(レチノイドX受容体)には、それぞれ3種類のサブタイプ(α、β、γ)があります。ビタミンAに由来するこれらの物質は、脳のほとんどの領域で多く発現しており、脳機能に対してビタミンA-レチノイン酸情報伝達経路が大きな役割を果たしていることを示しています。※1
例えば、富山大学学術研究部医学系生化学講座の野本真順准教授らによる研究によると、レチノイン酸受容体遺伝子欠損マウスやビタミンA欠乏マウスにおいて以下の特徴がみられました。※1、3
- 記憶を形成できない
- ビタミンAは、記憶を司る部位である海馬において、記憶制御に欠かせないはたらきをする
- ビタミンAは広範囲の脳高次機能に関わっている
今後、分子レベルの解析が進めば、アルツハイマー型認知症の予防・治療や加齢変化としての記憶力低下防止などに役立てられると期待されています。※1
ビタミンB1
ビタミンB1には、生体内でATP産生や糖代謝に対する補酵素としてのはたらきがあります。特に、脳ではグルコースがエネルギー源となるためビタミンB1の重要性が高いとされており、欠乏すると神経系のはたらきに影響を及ぼします。なかでも、記憶障害が主な病態であるウェルニッケ・コルサコフ症候群が知られています。ビタミンB1の摂取によって回復する脚気とは違い、ウェルニッケ・コルサコフ症候群による記憶障害は元に戻ることはありません。他には、アルツハイマー型認知症での記憶障害もビタミンB1欠乏が強く関連していると考えられています。※2
こうしたビタミンB1欠乏による記憶障害は、海馬の機能低下と関連していると考えられています。東京農業大学応用生命科学部生命科学科の稲葉洋芳氏らが行った研究では、海馬の神経変性から海馬依存的記憶の障害が引き起こされることが示されました。海馬は学習や記憶を司りエピソード記憶を作る中枢であり、脳内でもエネルギー消費の高い領域です。そのためビタミンB1欠乏による影響を受けやすく、海馬組織に強い炎症が誘導されると考えられます。その結果、海馬組織が損傷し、CREB(記憶形成に必要な遺伝子発現制御機能のある転写調整因子)の活性が減退して、記憶障害になるとされています。※2、4
マグネシウム
マグネシウムは、骨代謝、膜機能、タンパク質合成、DNA複製などの機能維持に貢献する多量ミネラルであり、生体の構造維持に欠かせません。脳や神経系ではマグネシウム濃度が上がると記憶・学習能力を高めることが示唆されている一方で、欠乏すると記憶障害が起こると考えられています。※1
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部の喜田聡教授らが行った研究によると、マグネシウム欠乏マウスでは、ビタミンB1欠乏と同じように海馬依存性記憶の障害が引き起こされている一方で、海馬神経変性は起こさないことが示されています。また、マグネシウム欠乏によって、ビタミンB1欠乏ほどではないものの、軽度の脳内炎症が確認されました。※2
トリプトファン
必須アミノ酸のひとつであるトリプトファンは、神経伝達物質であるセロトニンの前駆体であり、脳内でのセロトニンの量はトリプトファンの摂取量に影響しています。セロトニンは、学習・記憶や睡眠、食欲など幅広い脳機能制御に関わっている物質です。※1
名古屋市立大学医学研究科統合解剖学分野の内田周作准教授らが行った、トリプトファンの摂取量がマウスの高次脳機能に与える影響についての解析によると、半年間にわたるトリプトファン摂取制限によって、外見上の特徴や社会記憶・空間記憶には影響がなかったことがわかりました。その一方で、トリプトファン摂取制限によって海馬依存性の記憶に多少の影響があり、情動行動においては異常が現れることがわかったとしています。※5
トリプトファンについて詳しく知りたい場合は、こちらの記事をご覧ください。
関連記事:トリプトファンとは?効果や必要量、注意点、多く含まれる食材などについて解説
DHA
不飽和脂肪酸の一種であるオメガ3脂肪酸には、EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)などがあります。なかでも、DHAはサケやマグロなど脂肪が多い魚に多く含まれるほか、動物性食品や藻類にも含まれています。
DHAは生体内では脳に多く含まれており、脳機能維持に欠かせない成分として、胎児期から老年期まで重要な役割を果たしています。主に、神経新生、神経細胞分化、神経突起伸張、シナプス形成、膜流動性の維持のほか、抗炎症作用や抗酸化作用などさまざまな脳機能維持に関わっており、摂取不足になると脳の発達障害、アルツハイマー病、うつ病などの精神神経疾患の発症に強く関連します。※6
また、妊娠中や幼少期のDHA摂取はその後の発育や認知機能に影響することがわかっています。特に、母乳は乳幼児期におけるDHAやALA(αリノレン酸)の供給源としては最良で、母乳育児による乳児は、そうでないケースに比べて摂取不足になりにくいとされています。大豆や油、キャノーラ油、脂質ベースの栄養補助食品などの摂取によってALAの摂取量を増やすことは可能ですが、ALAからのDHA変換率が低いため効率としてはあまりよくないとされています。そのため、2歳まであるいはそれ以降も母乳育児を続けることで、十分な摂取量を確保できるといわれています。※7
Sandra L Huffman氏らがまとめた論文によると、発展途上国に限ったデータではありますが、妊娠期にn-3脂肪酸の摂取量を増加または補給することで、在胎週数、出生児体重、身長にわずかな改善の可能性がみられました。授乳中および乳幼児期に適切にDHA補給を行うことで、幼児の成長や発達に良い影響を与える可能性があり、特に栄養不良の子どもにおいては顕著であるとしています。※7
Ludmila Vasickova氏らの研究では、肥満児に対して3週間、毎日DHAとEPAの追加摂取を行いました。DHAをEPAの摂取量を増加した食事療法によって、体重減少や血中脂質値に改善がみられました。DHAの小児における肥満予防効果が確認されています。※8
他にも、さまざまな認知機能を低下させるアルツハイマー病の遺伝的リスク因子として知られるapoE4というタンパク質のはたらきを、DHA摂取によって抑制することができることを示す研究報告もあります。DHAの摂取が認知機能の低下やアルツハイマー病の予防効果が期待されています。※9
アルコールを控える
食事習慣として、摂取を控えたほうがよいものもあります。例えば、アルコールの大量摂取によって脳に大きな影響を与える可能性があることがわかっています。※10
疫学的な調査からは、大量飲酒やアルコール乱用の経験のある人は認知症になる人が多いこともわかっています。これは大量飲酒によって脳が萎縮することによるものと考えられます。他にも、施設入所している認知症の高齢者のうち約3割は、大量飲酒が原因の認知症であるという調査結果や、過去5年以上にわたって大量飲酒やアルコール乱用経験がある高齢男性においては、そうした経験のない男性に比べ認知症のリスクが4.6倍、うつ病のリスクが3.7倍になるという調査結果もあります。※11
大量飲酒による脳萎縮はこれまでも知られていましたが、近年の調査では飲酒量が増えるほどに脳が萎縮するということも明らかになっています。また、アルコールによる脳への影響は特に未成年者で強くなるとされています。その一方で、脳萎縮は飲酒を断つことで改善することもわかっています。※10
また、以前は少量の飲酒であれば健康に良いといわれてきましたが、それを覆す研究結果が報告されています。世界疾病負担研究(GBD)という研究プログラムが2016年に行った調査では、たとえ少量でもアルコールは健康に影響を及ぼす可能性があるため、基本的に飲酒量はゼロがいいと報告されました。※12
アルコール摂取についてはさまざまな報告がありますが、お酒を飲む人の全員が健康を害するわけではありません。少量や中等量の飲酒においては認知症のリスクはないこと、むしろ認知症を予防できる可能性があるという研究結果もあります。他にもアルコールが脳に与える影響としては、動物実験によって加齢変化としての記憶力の低下(いわゆるもの忘れ)や学習低下を促進することがわかっています。※10
アルコール摂取の是非について最終的な結論は出ておらず、今後の報告に注目していく必要があります。
低糖質・高タンパク質食生活で作業記憶能が低下
近年、広く浸透し身近になっている低糖質・高タンパク質の食習慣が、糖尿病や肥満といった疾患を持たない一般の人の脳機能に与える影響について、興味深い報告があります。低糖質・高タンパク質食が、脳機能のなかでも学習記憶や作業記憶などの認知機能に関わっているという報告です。
群馬大学共同教育学部の島孟留講師らの研究グループが行った研究では、低糖質・高タンパク食と対照食をそれぞれ4週間、健康なマウスに摂取させた結果、低糖質・高タンパク食群の体重増加率、血糖値、体重あたり脂肪増量が有意に低下することがわかりました。一方、体重あたり腎臓重量は有意に高値となったそうです。また、記憶能においては、作業記憶が低下することがわかったとしています。これは低糖質・高タンパク食摂取を続けることによって、海馬における神経細胞の新生や神経細胞の栄養因子の受容体のmRNA量が低下し、海馬の神経可塑性(※)が低下する可能性があるからだとしています。※13
※神経可塑性 外界からの刺激によって神経系が構造的・機能的に変化する性質のこと
記憶力を高める運動の習慣
近年、さまざまな研究を通して、運動が記憶に良い影響を及ぼすことが明らかになっています。それぞれの研究の内容と成果をご紹介します。
英単語を運動しながら記憶する群と運動なしで記憶する群の比較実験
例えば、中程度の運動を一定時間行った後に記憶課題を実施したり、低程度でも運動をしながら記憶課題を実施したりすることで、パフォーマンスが向上することが知られています。
また、最大心拍数の60~70%程度の運動を30分間行うことは、ワーキングメモリにとって効果的であるとされています。逆に、運動強度が強すぎると認知機能の低下につながります。※14
これをふまえて、大阪府立大学の湯浅成章氏および黄瀬浩一氏は、足ふみ運動に用いられる運動器具「ステッパ」を用いた運動を実施しながら英単語を記憶する群と、運動なしで英単語を記憶する群を比較する実験を行いました。その結果、暗記翌日のテスト成績にはほとんど差はなかったものの、3日後と1週間後のテストでは、運動しながら英単語を暗記する群において成績向上の有意差がみられました。これまでの研究では、運動の効果として短期記憶から長期記憶へ移行しやすくなることもわかっており、暗記から時間が経過した3日後や1週間後のテスト成績が向上した理由に関係しているとのことです。※14
筑波大学とカリフォルニア大学の共同研究によって実証された2つの成果
筑波大学と米国カリフォルニア大学アーバイン校による共同研究グループの研究では、健常成人21名を対象に、運動と記憶に関する研究を行いました。
この研究を通して、中強度の運動を短時間(10分程度)行うことで学習や記憶を司る海馬に関連する機能が向上することが実証されました。これまでに提唱されてきた、前頭前野の認知機能(注意・集中、計画・判断など)に短時間の低~中強度の運動が効果的であることに加え、同様の運動が記憶力向上にも効果があることがわかったのです。短時間の運動効果が長期的な効力を発揮して恒常的に記憶力が向上するか、あるいは、習慣的な運動が海馬の神経細胞を増やして記憶力の維持向上を可能にするのかなどは、今後の検討課題です。また、高齢者など対象者別の効果や、最も効果的な運動条件なども今後の検討課題であり、研究の進展が期待されています。※15
同じグループを対象者としたもうひとつの調査結果として、一過性の運動だけでなく、身体活動量および持久力が海馬の神経細胞新生と関係していることが明らかになりました。海馬の神経細胞新生は、海馬の歯状回という部位で起こります。この部位には、記憶パターン(類似したできごと)を区別し、正しく記憶する能力=パターン分離能があります。運動によって増加した神経細胞新生という背景に、持久力が高い人は海馬歯状回のパターン分離能が優れていることが示されました。これは、日常の身体活動によって持久力を高めることで、記憶力が向上することを示す結果です。また、前述のような短時間(10分間)の中強度運動を繰り返すことで、海馬歯状回の神経細胞新生が高まり、記憶力が向上すると考えられています。※16
一過性の運動が中高齢者の短期記憶に及ぼす影響
若年層を対象とした研究同様、中高齢者を対象とした研究でも、一過性の運動が短期記憶と学習、長期記憶に良い影響を及ぼすことがわかっています。
アメリカ・ノースカロライナ州在住で、健全かつ普段から運動を行っている50~75歳の中高齢者を対象に行われた研究では、一過性の運動が記憶に与える影響などが調査されました。その結果、記憶課題後に運動を行う群や運動をしない記憶課題群に比べて、記憶課題前に運動を行う群の方が、24時間後の記憶の定着および記憶量(記憶できた単語の数)のいずれにも良い影響があったとしています。記憶する前に一過性の運動を行うことで、中高齢者の短期記憶や記憶の定着力が改善したといえます。※17
軽運動と記憶力および瞳孔径に関する研究
流通経済大学・筑波大学などの研究チームも、健常高齢者を対象とした、軽運動と記憶力に関する研究について報告しています。ゆっくりとしたペースのウォーキング程度、あるいは息が軽く弾む程度の軽運動をした後に記憶能力に関するテストを行い、その成績を安静群と比較しました。その結果、成績は運動群の方が優れており、特に難しい記憶問題においてはその傾向が顕著であったといいます。テスト中、アイトラッキングシステムにより瞳孔径を計測したところ、運動時は瞳孔径が拡大すること、その程度が大きいほど記憶力への効果がみられることがわかり、瞳孔径運動効果の中間因子であることが明らかになりました。この研究により、低強度運動でも記憶力向上に影響し、そこには脳内覚醒機構が関連していることが示されました。※18
記憶力を高める睡眠の習慣
近年、多くの研究報告により、睡眠が記憶力を向上することが明らかになってきています。記憶が固定・向上するための脳内活動の変化は、記銘直後のみならず一定時間が経過して起こることがわかっています。睡眠中は外部刺激から遮断されており、深いノンレム睡眠中は脳血流量が大幅に低下します。さらに、レム睡眠中にはコリン系活動の活性化や脳幹辺縁系活動上昇といった脳内変化が起こり、記憶の再現や再構成が促されると考えられています。※19
近年行われた、記憶力と睡眠の関係についての研究をご紹介します。
記憶を消去する役割をもつMCH神経に関する研究
睡眠中に夢を見ても、その記憶は定着せず起きるとすぐに忘れてしまう(消去される)ことがあります。名古屋大学環境医学研究所の山中章弘教授らの研究グループは、レム睡眠中の記憶を消去する神経について調べました。その研究報告では、自律機能調整や内分泌を行う視床下部に局在しているMCH神経(メラニン凝集ホルモン産生神経)の活動活性によって記憶が消去されること、逆にMCH神経の活動抑制によって記憶が定着することを明らかにしました。特に、記憶の中枢である海馬が担う記憶に対して、MCH神経が記憶を消去することがわかったとしています。また、MCH神経のみを活性化させる方法は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による強い恐怖心を伴う記憶を消去する治療への応用が期待されています。※20
光によってLTP(シナプス長期増強)を消去し、記憶を消去する方法についての研究
記憶の消去においては、京都大学・理化学研究所・大阪大学によって行われたグループ研究による、とても興味深い報告があります。※21
海馬で短期的に保存された記憶が、皮質で長期的に保存される現象を「記憶の固定化」とよびます。この研究グループでは、記憶の固定化の過程においてLTP(シナプス長期増強)が誘導される細胞とその時間枠を検出する手法を開発したことで、いつ、どの細胞に記憶が保持されるかがわかったといいます。光を用いて活性酸素を放出することで、周囲のタンパク質を不活化するという技術を応用し、非薬剤的に特定の場所・時間におけるLTPを消去することが可能になりました。さらに、学習直後とその後の睡眠において、海馬でLTPが段階的に起こることで、短期的な記憶が作り出されることが明らかになりました。また、長期的に保存される記憶は、学習の翌日には皮質に移行し始めていることもわかりました。LTPは記憶形成のメカニズムであり、多くの脳領域で共通しています。この研究が進展することで、記憶に関する脳機能を細胞レベルで解明できると考えられているほか、LTPに関わるシナプスの異常は多くの疾患の治療法につながることが期待されています。※21
昼寝が記憶のパフォーマンスにもたらす影響についての研究
同じ睡眠でも、昼寝のような短時間の睡眠と記憶の関係について調査した研究もあります。Olaf Lahl氏らの研究では、被験者に2分間で30個の単語を記憶してもらい、昼寝と記憶保持に関する2種類の実験を行いました。最初の実験では、日中にずっと起きている場合と比べて、昼寝をした方が記憶のパフォーマンスが良いことがわかりました。2つ目の実験では昼寝なし、短い昼寝(6分程度)、長い昼寝(35分程度)の3群を比較したところ、短い昼寝よりも長い昼寝をした方が、その後に覚えている単語数が多かったという結果になりました。この研究結果は、非常に短い睡眠時間でも脳内における記憶の処理を強化するのに十分であること、つまり睡眠後すぐ記憶の処理が開始され、昼寝が短時間で終わってもその処理が持続する可能性があることを示しています。※22
メンタル面も記憶力に影響する
最後に、感情と記憶の関連性についてご紹介します。
今から50年ほど前にはすでに、強い感情が記憶を促進することが示されていました。何かしらの非常に印象的なできごとがあったとき、そのできごとに関する事実の記憶が強く残ります。これは「フラッシュバルブ記憶(FBM)」とよばれています。例えば、世界的に大きなニュースを聞いたときの感情や驚き、そのできごとの重要性などを、人はしっかりと覚えているというのです。ただし、このフラッシュバルブ記憶も時間の経過とともに少しずつ異なっていく可能性についても述べられています。※23
感情と記憶についての研究は近年も進められており、2020年には株式会社NTTドコモの先端技術研究所が、小学4年生から中学3年生の男女136名を対象に、感情と記憶力との関係についての実験・分析を行っています。その結果、学習を行う前に「快」や「覚醒」に関係する感情を経験することで、学習した内容をより強く記憶することがわかりました。※24
このように、記憶には感情が影響します。その一例として、認知症の方が最近のことよりも昔のことの方をよく覚えていることなどが挙げられます。とても楽しかったことや喜び、幸せにつながる記憶だからこそよく覚えているのかもしれません。反対に、悲しい記憶や辛かった記憶も長く覚えていることもあります。当時感じた強い感情に結び付いているからこそ、人生の記憶として長く覚えているのだと考えられます。
ストレスが物忘れや脳の萎縮につながる
一方で、強いストレス(負の感情)を受けたとき、その記憶は残りにくいことも示されています。
ボストン大学のJustin B. Echouffo-Tcheugui医学博士らの研究チームでは、ストレスホルモンとよばれる「コルチゾール」の量と記憶に関する研究を行いました。その結果、コルチゾール量が多い人ほど物忘れが多くなることがわかりました。これまでにもコルチゾール量と認知症との関係を指摘する研究はありましたが、今回の研究では、平均年齢48歳を対象者としているのが特徴です。いわゆる働き盛りの年代でも、コルチゾール量が多いほど物忘れや脳の萎縮につながることが明らかになったのです。※25
生活習慣を見直し記憶力の維持に努めよう
加齢とともに記憶することが難しくなったり、いわゆる物忘れが多くなったりするのは、私たちの誰にでも起こり得る変化です。だからこそ、食事、運動、睡眠、そしてストレスケアなど日常生活の習慣を見直すことで、近い将来の自分の記録力を維持していく努力は欠かせないといえます。
参考資料
※1 喜田聡. (2021) 記憶制御に対する必須栄養素群の役割. Journal of Japanese Biochemical Society. 93(1). 7-14.
※2 喜田聡. (2022) 記憶能力に対する必須栄養素の役割とその作用メカニズム. 日本栄養・食糧学会誌. 76(2). 87-94.
※3 Nomoto M, et al. (2012) Dysfunction of the RAR/RXR signaling pathway in the forebrain impairs hippocampal memory and synaptic plasticity. Molecular Brain. 5(8)
※4 Inaba H, et al. (2016) Vitamin B1-deficient mice show impairment of hippocampus-dependent memory formation and loss of hippocampal neurons and dendritic spines: potential microendophenotypes of Wernicke-Korsakoff syndrome. Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry. 80(12). 2425-2436.
※5 Shusaku Uchida, et al. (2007) Chronic reduction in dietary tryptophan leads to a selective impairment of contextual fear memory in mice. Brain Res. 1149. 149-156.
※6 橋本道男. (2018) 脳・神経機能維持とn-3系脂肪酸. 日薬理誌. 151. 27-33.
※7 Sandra L Huffman , et al. (2011) Essential fats: how do they affect growth and development of infants and young children in developing countries? A literature review. Matern Child Nutr. 3. 44-65.
※8 Ludmila Vasickova, et al. Possible effect of DHA intake on body weight reduction and lipid metabolism in obese children. Neuro Endocrinol Lett. 32(2). 64-7.
※9 Zehavit Kariv-Inbal,et al. (2012) The isoform-specific pathological effects of apoE4 in vivo are prevented by a fish oil (DHA) diet and are modified by cholesterol. J Alzheimers Dis. 28(3). 667-83.
※10 文部科学省. 未成年者を喫煙の害から. 守るための社会的対策を知ろう! 第3章 喫煙、飲酒と健康たばこの煙には様々な有害物質が含まれています!
※11 厚生労働省. e-ヘルスネット. アルコールと認知症
※12 GBD 2016 Alcohol Collaborators. (2018) Alcohol use and burden for 195 countries and territories, 1990-2016: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2016. Lancet. 392(10152). 1015-1035.
※13 群馬大学. プレスリリース. 低糖質・高タンパク質食生活で作業記憶能が低下-海馬の健康と食生活の関係を示唆-.
※14 湯浅成章ほか. (2020) 有酸素運動が英単語暗記に及ぼす影響の確認. 研究報告ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI). 186(10) 1-5.
※15 筑波大学. プレスリリース. 短時間の運動で記憶力が高まる ―ヒトの海馬が関連する機能の働きが10分間の中強度運動で向上!
※16 筑波大学. プレスリリース. アクティブライフは脳に効く ―持久力が高いほど海馬が関連する記憶能が優れていることが判明―
※17 上野愛子. (2022) 一過性の運動による中高齢者の記憶力への影響. 体力研究. 120. 60.
※18 筑波大学. プレスリリース. 短時間の軽運動で高齢者の記憶力が向上する~同行計測から脳内覚醒機構の関与を示唆~
※19 鈴木博之. (2008) 睡眠と記憶に関する近年の知見. 精神保健研究. 54 29-36.
※20 名古屋大学. プレスリリース. 浅い眠りで記憶が消去される仕組みを解明~なぜ夢は起きるとすぐに忘れてしまうのか~
※21 京都大学. プレスリリース. 光で記憶を消去する―よい記憶に睡眠が必要な理由を解明―
※22 Olaf Lahl, et al. (2008) An ultra short episode of sleep is sufficient to promote declarative memory performance. J Sleep Res. 17(1). 3-10.
※23 Roger Brown, James Kulik. (1977) Flashbulb memories. Cognition. 5(1). 73-99.
※24 飯島采永, 瀧上順也. (2020) 学習前の感情経験が記憶力にもたらす効果の検証. 感情心理学研究. 28. 22.
※25 Justin B. Echouffo-Tcheugui, et al. (2018) Circulating cortisol and cognitive and structural brain measures The Framingham Heart Study. Neurology. 91 (21). e1961-e19.