先天的な脳機能障害のひとつである自閉症は、現在では自閉スペクトラム症と呼称が変わっています。自閉スペクトラム症そのものに対する特効薬はまだありませんが、近年の研究により、幸せホルモンとよばれる「セロトニン」が自閉スペクトラム症と関連することが解明されつつあります。今回は、言語能力や予測困難な状況への対処といった自閉スペクトラム症に特徴的な症状に対し、セロトニンがどのような効果をもたらすのか、その関連について解説します。
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自閉症(自閉スペクトラム症)とは
自閉症は、1943年にアメリカで発表された論文をきっかけに世界中で認知されるようになった、先天性の脳機能障害のひとつです。1944年には、知的障害が目立たない自閉症を「アスペルガー症候群」とする論文が発表されました。その後は自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害などさまざまな呼称がありましたが、2013年にアメリカ精神医学会が診断基準を発表し、これらを統合して「自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)」と表現するようになりました。※1、2
症状は軽重さまざまで個人差がありますが、主に言語やコミュニケーションの障害、社会性の低下、対人相互関係の困難さ、こだわりの強さ、感覚過敏または鈍麻などがあります。※1、2、3
自閉スペクトラム症の原因は特定されていませんが、多くの遺伝的要因が複雑に関わっていると考えられています。また、周産期のトラブルや胎内環境が関係している可能性もあります。発症頻度はおよそ100人に1人とされており、女性に比べ男性は約4倍と多くなっています。なお、親の育て方が原因でないことがわかっており、ワクチンとの関連も否定されています。※1、2
根本的な原因の治療法は確立されておらず、専門家のアドバイスなどをもとに個々の症状や状態を正しく理解し、ニーズに合わせた治療や支援をする必要があります。癇癪や多動、こだわりの強さなどの症状によっては、薬物療法が有効なケースがあることもわかってきています。※2
自閉スペクトラム症との関連が指摘されているセロトニンとは?
脳機能イメージングを使ったある研究では、一部の自閉スペクトラム症患者には、神経伝達物質のひとつであるセロトニンを作り出すはたらきや、神経細胞がセロトニンを取り込むはたらきに異常があることがわかりました。※4
セロトニンは、主に視床下部、延髄の縫線核、大脳基底核などに存在する脳内の神経伝達物質のひとつです。神経細胞から放出されたセロトニンは、別の神経細胞にあるセロトニン受容体が受け取ることで、次の神経細胞へ情報が伝達します。※5
セロトニンには、脳の発達や情動、睡眠の調整などの役割があります。また、ノルアドレナリンやドーパミンといったさまざまな感情に関わる神経伝達物質をコントロールし、精神を安定させるはたらきもあります。精神に良い影響を与えるホルモンであることから、セロトニンは「幸せホルモン」あるいは「幸福物質」とよばれることもあります。セロトニンが低下すると精神状態のバランスが崩れるため、不安、うつ、攻撃性の増加、パニック障害などを引き起こすとされています。※5
セロトニンは、必須アミノ酸のひとつであるトリプトファンから作られます。必須アミノ酸は体の中で作り出すことができないため、食事から摂取する必要があります。体内のセロトニンを増やす方法としては、セロトニンの材料となるトリプトファンを積極的に摂取するほか、太陽光を浴びたり、リズム運動を取り入れたりすることが挙げられます。※6
セロトニンを増やす方法について詳しく知りたい場合は、こちらの記事をご覧ください。
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自閉スペクトラム症とセロトニンの関連
2017年には、自閉スペクトラム症患者で見つかっているゲノムの変異をマウスで再現させた、15番染色体重複モデルマウスを使用した研究結果が報告されました。※7、8
15番染色体重複モデルマウスには、セロトニンの供給元である縫線核という脳部位の機能低下や、セロトニンを受け取る大脳皮質における感覚刺激への応答異常があることがわかりました。大脳皮質の中でも体性感覚皮質という領域は体からの触覚情報を受け入れるところであり、セロトニンの影響を強く受けます。ヒトで考えるなら、手や指で触れるときなどのいわゆる「感覚」であり、マウスではヒゲへの刺激がこれにあたります。※7、8
さらに、組織学的な解析により、体性感覚皮質では抑制シナプスの減少が確認されました。電気活動の抑制性入力が減少することでシグナルノイズ比を悪化させ、感覚情報を調整する機能を障害する原因になったとしています。自閉スペクトラム症患者の特徴のひとつである感覚異常には、抑制シナプスの減少による感覚情報調整機能の障害が関連していると考えられます。※7、8
一方で、発達期にあるモデルマウスの脳内セロトニン量を回復させると、縫線核や大脳皮質における異常が改善することもわかったのです。これらのことから、主に発達期における脳内セロトニン量の低下が、自閉スペクトラム症の発症に関わっていることが示唆されました。※7、8
この研究で使用された15番染色体重複モデルマウスは、生後すぐからセロトニン減少がみられていました。そこで、発達期のセロトニンを増やすためにSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)を生後3日から離乳期まで投与したところ、前述の体性感覚皮質の抑制性入力や、縫線核のセロトニン神経の興奮性入力、脳内セロトニン量などにおける異常の改善や回復がみられたことも報告されています。SSRIの投与による効果として、結果的にコミュニケーション障害(鳴き方の発達の遅れ)と社会性相互作用の改善がみられたそうです。※7、8
言語処理やコミュニケーション能力との関連性
自閉スペクトラム症において多く報告されている言語障害およびコミュニケーション障害と、セロトニン作動系の機能不全がどのように関連しているかは、これまで解明されていませんでした。近年の研究により、徐々に明らかになりつつあります。
2020年に行われた自閉スペクトラム症者の成人男性を対象にした研究では、被験者に言語能力の評価(知能検査による)を行い、平坦な言い方と抑揚をつけた2種類の「ね」という音声刺激を使って人間の声のイントネーションの変化に脳がどのように反応するかを脳磁計で測りました。さらに、PET(Positron Emission Tomography:陽電子放出断層撮影)を使用し、大脳全体でのセロトニンの動きを測定しました。その結果、知能検査で測定される言語能力には、脳の右半球にある大脳基底質(島皮質から被殻や線条体)のセロトニンが関与していること、そして社会的な声に対する脳内の言語処理は、左後頭部(舌状回、紡錘状回、鳥距溝)におけるセロトニンのはたらきが関連していることが明らかになりました。※9
この研究成果は、自閉スペクトラム症患者にみられる言語コミュニケーション障害の理解を促進したり、客観的な評価方法を開発したりするのに寄与することが期待されています。
予測困難な状況への対処
自閉スペクトラム症患者の特性として、予測困難な状況に対処するのが難しいことが挙げられます。この「予測困難な状況の変化への強い抵抗性」に関する研究結果を通して、神経細胞が作られる過程における異常な遺伝子発現が、自閉スペクトラム症の発症につながることが示唆されました。※10
ヒトもマウスも、胎生期に脳内の神経細胞が作られます。この研究では、胎生期のマウスのSuv39h2とよばれる遺伝子をノックアウトする(機能を失わせる)と、脳内の神経細胞のつながり、つまり「神経ネットワークの形成」に異常がある可能性が浮上しました。さらに、Suv39h2をノックアウトしたモデルマウスが成長した後、マウスの学習能力や、予測困難な状況になったときの行動を調べた結果、遺伝子操作をしていない野生型のマウスと比較すると学習能力には大きな差はないものの、予測困難な状況になったときには野生型のような柔軟な行動変化が見られなかったといいます。※10
こうした行動の異常性は、自閉スペクトラム症患者の特性でもある「こだわりの強さ」、いわゆる同じモノ・コトへの固執や、習慣を変えられないといった特性によく似ています。これらのことから、神経細胞が作られる過程において何らかの原因で特定の遺伝子の機能が失われることで、自閉スペクトラム症をもって生まれてくる可能性が示唆されました。※10
さらに、4歳から20歳のヒトの自閉スペクトラム症患者の死後脳を調べたところ、セロトニン神経細胞の起始核である縫線核で、マウスのSuv39h2遺伝子に相当するSUV39H2遺伝子の発現量が減少していることもわかりました。つまり、SUV39H2遺伝子の発現量が減少するとセロトニンの放出能力等に異常が生じ、生後に自閉スペクトラム症を発症した後でもSUV39H2遺伝子の影響が残り続けているということになります。※10
食事療法やサプリメントの活用
自閉スペクトラム症とセロトニンとの関連についてさまざまな研究が行われ、発症の原因や治療法の手がかりも徐々に明らかになりつつあります。実際には、自閉スペクトラム症に対する特効薬はまだ開発されていませんが、アメリカでは研究成果に基づき、クリエイティブ療法や音楽療法と併用して食事療法やサプリメントの服用を行っているクリニックもあります。
例えば、マグネシウムやビタミンB6、乳酸菌製剤、ビタミンB12、ビタミンDなどが投与されています。特に、小児の自閉スペクトラム症患者にビタミンB6を大量に投与すると、発話や言語能力が改善されたという報告があります。ビタミンB6には副交感神経のはたらきを助ける効果が、ビタミンB12には自閉スペクトラム症患者によくみられる睡眠障害を改善する効果が期待できます。※11
また、妊娠中のビタミンD欠乏が自閉スペクトラム症に関連していることもわかってきています。ビタミンDには遺伝子の活性化をコントロールする効果があり、セロトニンの分泌に関わる遺伝子を不活性化することで脳内セロトニン量が増加すると考えられています。※11
自閉スペクトラム症の特効薬が開発されていない現在では、既存医療と併用してこうしたサプリメントによる治療や食事療法などが試験的に行われるようになっています。
自閉スペクトラム症とセロトニンの関連性について研究が進むことを期待
日本では約100人に1人が自閉スペクトラム症とされ、アメリカでは自閉スペクトラム症患者は増加傾向にあるといわれています。しかしながら、発達障害という概念が生まれてからまだ歴史は浅く、原因の究明や治療法の研究などは未だ発展途上といえます。自閉スペクトラム症はあくまで脳の障害であり、確立した治療法はありません。だからこそ、近年の研究で明らかになってきたセロトニンの関連性は、治療法の開発に向けた大きな一歩となるのではないでしょうか。
参考資料
※1 一般社団法人日本自閉症協会. 自閉スペクトラム症(ASD)について学ぶ.
※2 厚生労働省 e-ヘルスネット. ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)について.
※3 社会福祉法人北九州市福祉事業団. 北九州市発達障害者支援センターつばさ. 福岡県発達障がい者支援センター(北九州地域). 発達障がいについて.
※4 日本脳科学関連学会連合. 知ってなるほど!脳科学豆知識 第11回目 自閉症とセロトニン.
※5 厚生労働省 e-ヘルスネット. セロトニン.
※6 小西正良, 吉田愛実. (2011) セロトニン分泌に影響を及ぼす生活習慣と環境. Journal of Osaka Kawasaki. Rehabilitation University.(5). 11-20.
※7 理化学研究所. 発達期のセロトニンが自閉症に重要 -脳内セロトニンを回復させることで症状が改善-.
※8 日本医科大学プレスリリース. 発達期のセロトニンが自閉症に重要 -脳内セロトニンを回復させることで症状が改善-.
※9 連合小児発達学研究科関連5大学 子どものこころの研究センターによる国際拠点形成とOUエコシステムアジア展開. 研究成果. 自閉症スペクトラム症の言語処理にセロトニンシステムが関与することを発見.
※10 理化学研究所. ヒストンメチル化による自閉症の新しいメカニズムを発見 -自閉スペクトラム症の治療薬開発に役立つ可能性-.
※11 宮尾益知.(2018) 発達障害の代替医療―どんぐり発達クリニックにおける実践―. The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine, 55(12). 989-993.