近年、腸脳相関という言葉をメディアなどで見かけるようになりました。さまざまな研究により、腸と脳という離れた臓器にはお互いのはたらきや発達を左右するような相互関係があることがわかってきました。今回は、「第二の脳」ともよばれる腸と脳がどのように影響を与え合っているのか、そこにセロトニンやストレスがどのように関係しているのかを解説します。
腸脳相関とは
腸の役割と腸内細菌叢、そして腸脳相関について解説します。
「第二の脳」である腸の役割
腸の役割としてイメージするのは、口から摂取した栄養や水分を消化吸収するはたらきと、病気や感染の予防や回復に大きく関連する免疫機能ではないでしょうか。消化吸収と免疫は、私たちが生きる上で根幹となる重要なはたらきです。腸はこれら以外にも、実は私たちが健康に生きるための大切なはたらきを担っていることが明らかになってきています。※1
私たちは脳からの指示指令によって、体の器官を動かしながら生きています。しかし、なかには脳からの指示指令がなくてもその器官だけで独自に動くことができるものもあります。代表的な器官のひとつが腸で、神経細胞が多く存在し、独自のネットワークを持つことから「第二の脳」ともよばれています。※1
腸内細菌叢とは
腸内には多くの腸内細菌が常在しています。その数は100兆個、約1,000種類もあり、重さにすると1~2kgあるともいわれており、その多さに驚かされます。これらの細菌が集まり腸内で共存している状態を「腸内細菌叢」といいます。最近では「腸内フローラ」という用語でよく知られているかもしれません。腸内細菌叢の内訳(種類や数)はその人によって異なり、体にとって良いはたらきをする善玉菌だけでなく、害を及ぼす悪玉菌も存在します。それらが一定のバランスを保ちながら腸内環境を形作り、整えているのです。※1
また、腸内環境は加齢に伴い変化することがわかっています。ある研究によると、健康な高齢者の腸内細菌叢には炎症を抑える腸内細菌が多く存在しているといいます。反対に、悪玉菌が増加すると健康に悪影響を及ぼすことになるのです。※2
双方向に関連する「腸脳相関」
前述のとおり、腸は脳の指示指令を受けずとも動くことができますが、腸と脳が互いに影響を及ぼし合いならが密接に関連していることがわかってきています。「互いに」というところが特徴で、決して一方向ではなく双方向の関係性にあるのです。このような腸と脳の関連は「腸脳相関」とよばれています。例えば、大事な用件の際などに緊張やストレスでお腹の調子が悪くなったり、食生活の乱れなどから便秘になりイライラしてしまったりするのは、実は腸脳相関によるものだったのです。※1、3
具体的には、神経系を介して脳に伝わった腸の情報が、不快感と痛みといった腹部症状とともに気持ちや精神状態の変化を引き起こします。一方、気持ちや精神状態の変化は、自律神経や副腎皮質刺激ホルモン放出因子を介して腸の異常を悪化させます。このように、腸と脳は双方向に影響を与え合う関係性にあるのです。※3、4
なお、近年では腸だけでなく、腸内細菌も脳と互いに関連し影響し合っていると考えられ、さらに進んだ「腸内細菌-腸-脳」相関という領域の研究も進められています。※3、4、5
腸脳相関や腸内細菌まで含めた相関性を研究することで、特定の腸内細菌の占有率と疾患の関連が明らかになり、良好な腸内環境による認知症や精神疾患などの発症予防や症状改善に役立つのではないかと考えられています。※3
腸脳相関とセロトニンの関係
近年、さまざまな研究が行われるようになった「腸と脳の関係」について、異なる視点から見ていきましょう。
腸内細菌叢(腸内フローラ)が脳の発達に及ぼす影響
2011年、スウェーデンとシンガポールの研究グループは、腸内細菌叢(腸内フローラ)が脳の発達に及ぼす影響に関する研究成果を発表しました。“Normal gut microbiota modulates brain development and behavior(正常な腸内微生物叢は脳の発達と行動を調節する)”と題したこの研究では、腸内細菌叢を予め調整したマウスを用いて実験が行われました。
研究チームはまず、一般的な腸内細菌叢を持つマウスと腸内細菌叢をまったく持たないマウスを利用し、それぞれの成長を観察しました。その結果、一般的な腸内細菌叢を持つマウスはそのまま一般的なマウスと同じ行動を示すマウスへと成長し、腸内細菌叢を持たないマウスは攻撃的なマウスへと成長しました。
また、腸内細菌叢を持たないマウスに対し、幼少期に腸内細菌叢を導入した群と、成長後に腸内細菌叢を導入した群に分けたところ、前者は一般的な性格のマウスに、後者は攻撃的な性格のマウスになったそうです。
この結果から研究グループは、腸内細菌叢を導入する時期によって腸内細菌叢が脳の発達に影響を与えている可能性があると述べています。※6、7
さらに、この研究で利用したマウスの脳を調べたところ、腸内細菌叢を持たないマウスでは、喜びや不安など感情の動きと関係する「セロトニン」や「ドパミン」といった神経伝達物質の量が少ないことを見出しました。つまり、マウスの例ではありますが、脳は成長の過程で腸内細菌叢によって何らかの影響を受け、そのはたらきや感情のコントロールに違いが出てくると考えられます。※6、7
セロトニンとは
この研究でも出てきたセロトニンという神経伝達物質は、喜びや快楽といった情報を伝える「ドパミン」や、恐怖や驚きなどの情報を伝える「ノルアドレナリン」をコントロールします。近年では「幸せホルモン」ともよばれています。
セロトニンはもともと、腸内細菌たちの情報を伝達する物質であったといわれています。哺乳類よりもかなり原始的な生物である腔腸動物にも、伝達物質としてのセロトニンが存在しています。そして、現在の私たちの体の中でも大部分のセロトニンは腸で作られており、体全体のセロトニン(およそ10mg)のうち、90%は腸内の細胞の中に存在しています。脳内で感情の動きをコントロールしているのは、体内に存在するセロトニンのうちわずか2%にすぎないのです。※7
これらを総合的に考え、先ほどご紹介したマウスの研究を行った研究グループは、動物は進化の過程で脳の発達に腸内神経叢が関与するというメカニズムが組み込まれたのではないかと述べています。※6
脳内にわずか2%しか存在しないセロトニンは、私たちの精神面に大きな影響を与える物質です。例えば、起床時に体を活動できる状態に整えたり、起きているときに意識をすっきりさせたりする作用があります。逆にセロトニンが不足すると、寝起きが悪くなったり、どんよりとした表情や背中が丸くなるような姿勢になったりします。※8
セロトニンはドパミンやノルアドレナリンの暴走を抑え、心のバランスを調整しているため、不足すると心のバランスが崩れたり、攻撃的になったりします。セロトニン不足によって起こるこれらの状態は、先ほどご紹介した研究成果である「攻撃的なマウスへと成長した」ことと一致しています。※9
セロトニンについて詳しく知りたい場合は、こちらの記事をご覧ください。
関連記事:幸せホルモン「セロトニン」とは?セロトニンの作用や不足した場合の症状、増やす方法について解説
ストレスと腸内細菌
ではここで、腸内細菌叢についてもう少し掘り下げてみましょう。
腸内細菌叢を構成する菌には、前述した善玉菌と悪玉菌の他に、そのどちらでもない中間の菌である日和見菌がいます。日和見菌はその名の通り、善玉菌と悪玉菌のどちらか優勢な方の味方となって腸内で発酵活動を行う菌で、腸内細菌叢のおよそ70%を占めているといわれています。体に良いとされる善玉菌を常に優勢にしておくことができればよいのですが、善玉菌を増やすのはそれほど簡単ではありません。なぜなら、悪玉菌は毎日の食事や不規則な生活、さまざまなストレスや便秘などが原因で増えていくため、現代のようなストレス社会においてはすぐに悪玉菌が優勢になってしまうからです。※10
ストレスと腸内細菌叢のメカニズムを解明した研究成果が2021年に発表されています。北海道大学の研究チームによる研究では、慢性社会的敗北ストレスモデルマウス(ストレスによりうつ状態になっているマウス)を用い、ストレスが自然免疫と関係する物質の分泌を減少させることで腸内細菌叢とその代謝物の組成を異常な状態に変えていくことを発見しました。つまり、慢性的にストレスを感じる生活を続けていると、腸内細菌叢のバランスが崩れ、結果的に腸脳相関の恒常性が阻害されるのです。そして、さらなるうつ状態やうつ病につながることもわかりました。この研究成果は、今後のうつ病予防や新たな治療法の開発につながるとして期待されています。※11
腸を整える方法
腸内細菌叢を正常な状態に保つには、腸内細菌叢を構成する悪玉菌を減らし、善玉菌を増やす必要があります。悪玉菌は、タンパク質や脂質が中心の食生活や、ストレスによって増えます。腸は私たちの免疫機能とも密接な関係があり、悪玉菌の増加は肥満だけではなく、糖尿病や大腸がん、動脈硬化、腸炎などの疾患にもつながります。一方、善玉菌は腸内を酸性にして悪玉菌の増殖を抑えたり、腸の運動を活発にしたりするほか、体の外から入ってくる菌による炎症や発がん性物質の産出を抑制するはたらきがあります。※10
悪玉菌を減らすためには、食事に気を配り、規則的でストレスのない生活を送ることが必要です。そして善玉菌を増やすには、善玉菌そのものであるビフィズス菌や乳酸菌を直接摂取する「プロバイオティクス」や、善玉菌のエサとなる食物繊維やオリゴ糖をたくさん摂る「プレバイオティクス」などの方法が推奨されています。※10
今の自分の腸の状態を知りたいなら、便を観察してみるとよいでしょう。色は黄色から褐色、柔らかく、においがしても臭くない便なら、善玉菌が優勢な状態です。一方、便が黒っぽくて硬く、悪臭がするようなときは、悪玉菌が優勢な状態です。※10
体=腸が喜ぶ食物は、脳にも良い影響を与えている
腸と脳は物理的に離れている臓器ではありますが、お互いに影響を与え合っています。普段何気なく口にする食べ物は、脳に良い影響を与えるだけでなく、悪い影響を与えてしまうこともあるのです。ストレス社会を生きる私たちは、体に良い栄養や脳に良い影響を与える栄養を含む食品を上手に選択していく必要があるといえます。
参考資料
※1 一般社団法人日本健診財団. 腸のはなし. 広報誌バランス. 2022秋(45). 6-7.
※2 国立研究開発法人国立長寿医療研究センター. あなたの腸は大丈夫? ―いきいき腸内細菌!―.
※3 40代からの認知症リスク低減機構. ビフィズス菌MCC1274. 近年話題の「脳腸相関」.
※4 公益財団法人腸内細菌学会. 用語集. 脳腸相関(brain-gut interaction).
※5 小林洋大ほか. (2019)腸から脳の健康を考えるビフィズス菌A1株による認知機能改善作用. Kagaku to Seibutsu 57(8). 472-477.
※6 Rochellys Diaz Heijtz, et al. (2011) Normal gut microbiota modulates brain development and behavior. Proc Natl Acad Sci USA. 108(7). 3047–3052.
※7 藤田紘一郎. (2012) こころとからだの免疫学―腸内細菌の働きを中心に―. 心身健康科学. 8(2). 69-73.
※8 東邦大学医療センター 大森病院臨床検査部. コラム. 幸せホルモン「セロトニン」.
※9 東邦大学 理学部 生物学科. 生物学の新知識. ストレスと脳.
※10 厚生労働省 e-ヘルスネット. 腸内細菌と健康.
※11 北海道大学. プレスリリース. 心理的ストレスが腸内細菌を攪乱する機序をはじめて解明 ~うつ病の脳腸相関を介した予防・治療法開発に期待~