「心理的柔軟性」という言葉を聞いたことがありますか?
Acceptance and Commitment Therapy(通称ACT)という心理療法で使われるワードで、自分の感情や思考にとらわれず、自分が大切にしたい価値にそって行動する能力のことを意味しています。

心理的柔軟性と心理的非柔軟性の違い

こんな場面をイメージしてみましょう。
上司から「ちょっと話があるから、昼食後に会議室に来てください」と言われました。
さて、どんなことが頭にめぐるでしょうか。
「話って何だろう?よくない話だったらどうしよう……」など、頭にいろいろなことが浮かんで、心配になって、仕事が手につかなくなるかもしれません。
「あの案件から外されたりして……」と、まだ起きていない未来を想像して、落ち込んだり、お昼ごはんもじっくり味わえないかもしれません。
このように何かの出来事をきっかけに硬直している状態は、心理的“非”柔軟性と呼ばれます。

ACTは、心理的“非”柔軟な状態から心理的柔軟性の高い状態を目指すことを目的にしていて、6つのアプローチで構成されています(図)。

心理的柔軟性と心理的非柔軟性

図の左が心理的“非”柔軟性を、右が心理的柔軟性を表しています。
それぞれ、左と右を対応させながら解説していきます。

認知的フュージョン-脱フュージョン

「フュージョン」というのは、融合という意味の単語で、現実に起きていることと、自分が頭の中で考えていることが融合(混同)することを指します。

先ほどの上司に呼ばれた例で、現実はただ呼ばれただけなのですが、「よくない話をされる」、「案件から外される」などの思考が、あたかも現実に起こるように混同されて、心配になったり、落ち込んだり、そのあとの行動まで影響を受けてしまいます。

脱フュージョンというのは、上記のような融合状態から抜け出すために、思考から距離をとって観察することを指します。
「よくない話をされる」、「案件から外される」といった思考をただ観察し、それによって感情や行動が影響を受けることはありません。

体験の回避-アクセプタンス

苦痛を感じる思考や感情を体験しないための行動をとることを意味します。先ほどの認知フュージョンと連動していることが多く、「上司からよくない話をされるかも」と考えて、その事実に直面して傷つくことを回避するために、仕事で上司に相談が必要なことがあっても、上司に話しかけない、といった行動が考えられます。

それに対して、アクセプタンスは、たとえ不快な思考や感情だったとしても、それを受け容れて、そのまま体験することを指します。
心配な気持ちになったとき、落ち込んだときに、その感情をなくそうとするのではなく、オープンに受け容れていきます。

過去や未来へのとらわれ-「今、この瞬間」との接触

私たちはときに、過去に起きたことについて、「ああすればよかった」「こうすればよかった」といつまでも悩み続けたり、まだ起きていない未来のことを、「こんなことが起きたらどうしよう」「悪い方向に進むのではないか」と心配することがあります。

過去や未来にとらわれるのではなく、「今、この瞬間」に注意を向けて、目の前で起こっていることや、今まさに自分が感じていることに集中していきます。

「概念としての自己」へのとらわれ-文脈としての自己

「概念としての自己」というのは、「私は〇〇だ」と自分に対しての捉え方を指します。
「私は、人づきあいがうまくない」、「私は、継続が苦手だ」など、私たちは、知らず知らずのうちに、自分に対して固定した捉え方をしてしまいがちです。
文脈としての自己というのは、自分が何を考えて、感じて、どう行動しているのかに対して、俯瞰した視点から観察し続けることです。

価値の明確さの不足-価値

価値が明確にできていない状態というのは、認知的フュージョンや体験の回避によって、自分の行動が振り回されていて、自分が本当に大切にしたいことに気づいていなかったり、それを言葉で表現できなかったりすることを指します。

価値というのは、「自分は生きていくうえで、これを大切にしたい」、「こんな振る舞いをしたい」というものです。
価値を明確にして、言葉で表現できると、自分の指針が定まって、認知的フュージョンや体験の回避に飲まれにくくなります。

機能的でない行動-コミットされた行動

機能的でない行動とは、価値に基づいていない行動や、衝動的な行動、受け身的にただ繰り返すだけの行動や大切な行動を先延ばしにすることを指します。
コミットされた行動というのは、自分の価値にそった行動をとり続けることを指します。
自分が大切にしたいことを行動で表現するのです。

心理的柔軟性の高い状態のイメージが湧いたでしょうか?
ACTでは、自分の思考や感情を観察するマインドフルネスや、自分の価値を明確にするためのワークに取り組みながら、心理的柔軟性を高めていきます。

心理的柔軟性とウェルビーイング

私が、心理的柔軟性に注目しているのは、ウェルビーイングと重なる部分が多いと考えているためです。
ウェルビーイングの心理的な側面とされるユーダイモニア・ウェルビーイングは、「自分の強みを生かして、意味を感じられることに打ち込むことで得られるしあわせ」と定義されています。

「意味を感じられることに打ち込む」というのは、心理的柔軟性を高めるための「自分の価値にそった行動をとり続ける」ことと同義に見受けられます。

個人がウェルビーイングを高めるための取り組みとしても、ウェルビーイング経営を推進するアプローチのひとつとしても、「心理的柔軟性」はひとつのキーワードになるかもしれません。

執筆

博士(心理学),臨床心理士,公認心理師

関屋 裕希(せきや ゆき)

 

1985年福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、筑波大学大学院人間総合科学研究科にて博士課程を修了。東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野に就職し、研究員として、労働者から小さい子をもつ母親、ベトナムの看護師まで、幅広い対象に合わせて、ストレスマネジメントプログラムの開発と効果検討研究に携わる。 現在は「デザイン×心理学」など、心理学の可能性を模索中。ここ数年の取組みの中心は、「ネガティブ感情を味方につける」、これから数年は「自分や他者を責める以外の方法でモチベートする」に取り組みたいと考えている。 中小企業から大手企業、自治体、学会でのシンポジウムなど、これまでの講演・研修、コンサルティングの実績は、10,000名以上。著書に『感情の問題地図』(技術評論社)など。

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