19世紀後半に入り、近代音楽の時代。

新たな音楽が登場してきました。

 

今回は、私にとって特別な音楽の世界をご紹介です!

そうなんですね。特別とはどんな意味で?

私がクラシックやピアノを面白く感じるようになったきっかけなんです。

なるほど、最初から好きなわけではなかったのか。

痛いところですが、そうなんです。形式や当たり前の曲の進行には最初苦手意識がありました。今回のコラムでご紹介するのは、形式とは別の切り口を表した音楽です!なぜ私が、この時代の作曲家によって、クラシックを面白く感じたのか、ご紹介していきたいと思います。

 

ロマン派のあと、フランスを拠点に登場したのが、「印象派」と呼ばれるものです。

 

 

印象派とは

 

印象派は、フランス絵画の分野で始まりました。

モネ、ルノワール、セザンヌなどが代表格です。どこかぼやっとした、輪郭のないタッチは皆さんも見たことがあるのではないでしょうか。

それまでは写実的な自画像などの絵が主流だったのですが、モチーフが風景や静物画となっていきます。

より感じたままの感覚を重視した独創的な作風が生まれていました。

 

その絵画の流れの音楽版が、同じくフランスで生まれた「印象主義音楽」です。

ロマン派では主観、感情がメインだった音楽が、よりあるがままに、自然体の心象風景を表現しています。

 

また、調性感覚も独特です。明るいのか悲しいのかわからない、メロディもどこかはっきりしない、けれどとても美的な表現の流れです。

 

作曲家では、ドビュッシー、ラヴェルが大変有名です。

 

 

クロード・ドビュッシー(1862 〜1918)

 

20世紀初頭の音楽をリードした作曲家です。

 

有名な曲には、「月の光(ベルガマスク組曲)」「牧神の午後への前奏曲」「夢」「亜麻色の髪の乙女」など

どの曲も美しく漂うような、霧の中の景色を思い出させるような楽曲です。

 

ピアニストを挫折し作曲の道へ

 

ロマン派時代、ピアニストとしても大成している作曲家が多い中、ドビュッシーは、ピアニストとしてコンクールで1位を取ることができず、その道を断念。作曲の道へと進みます。

 

その後の作曲のクラスでは、まだ新しい音楽への理解が薄い教授たちから、風変わりで安定しない、転調が多すぎる、

などと、ドビュッシーの真価である特徴が、ことごとく低く評価されていました。

正直、教授にはまだその音楽が理解できていなかったのです。

 

そんな中、ドビュッシーは、作曲法で禁止されていた進行を他の学生に発表しては、音楽院では危険人物と見られていたそうです。

ところが、学生たちはその新しい響きにうっとりとしていた、とのこと。

 

そして、ピアノ協奏曲「春」が、絵画の印象派とまさに連動した印象主義との講評がきっかけに、

(本人の意思とは関係なく)ドビュッシーは印象主義と伝えられるようになり、徐々に高い評価を得るようになっていきます。

 

色彩豊かな音づかい

ドビュッシーの音楽を一言で言えば、まさにカラフル!

様々なイメージ、感覚、音の洪水です。

 

素直な楽曲ばかり練習していた子供時代には聴いたことのなかった音と音の出合いです。

ジャズのコードであったり、独特なリズム感、多くの音をもやーっと束にするように弾かせたりと、新しい発見がたくさんありました。

 

ドビュッシーが目指したのは、人が感じる五感を音に変換すること。

触った感触、皮膚、香り、そういった要素をそのままを音としていくことだったと感じます。

音楽が色彩に満ちているのは、そういった感覚を音に変えているから、なのでしょう。

 

また、楽曲のタイトルにもどこか詩的な表現を感じます。

 

「喜びの島」というピアノ曲があります。

 

夢の中をさまよい、空を飛びながら海を渡りパラダイスを目指すような、壮大でまさにおもちゃ箱のような、喜びの音楽です。

 

辻井伸行さんの演奏です。

 

喜びの島

 

 

どこか即興的な音と展開〉

 

ドビュッシーの「アラベスク」を中学生になった頃に弾きました。

この曲との出会いが、私を一気にピアノの世界に引き込みました。

 

音を間違えた時、正しい音と比べて、間違えた音の方がいいなあ、とうっとり繰り返すようなタイプです。生意気にも普通の古典的な響きにやや飽きていたのかもしれません

そんな私にとって、この音たちとの刺激的な出会いは本当に嬉しいものでした。

右手が三連符、左が八分音符、と右左が違うリズムを刻むことも初めてで、戸惑いながら、次の音がどうくるか、ドキドキしながら弾いていた記憶があります

ドビュッシーの楽曲にはヨーロッパだけではない、他国の要素が散りばめられている曲が多く、多くの音楽家、芸術家に影響を与えました。

私自身も、この曲に影響を受けて即興熱が進んだと記憶しています。

きっとドビュッシーと出会わなかったら、私は音楽と別の関わりを持っていたかもしれません。

モーリス・ラヴェル(1875〜1937)

ラヴェルはドビュッシーよりも遅れて登場した、フランス印象派音楽の代表です。

知的で、美しく洗練された、そして新しい和声とリズムへの強いこだわりを感じる楽曲たちです。

 

代表作は「ボレロ」「水の戯れ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ピアノ交響曲」など。

 

作品の数は他の作曲家と比べ、少ない方です。

作曲そのもののスピードはとても早いものでしたが、草案の段階がとてもスローペースだったようです。

また、ほとんどの楽曲は誰かの意見を求めることなく、全て1人で創作を行うタイプでした。

クープランの墓

結婚はせず、独身を貫いたラヴェルが一生をかけて大切にしていたのは自身の母でした。

母親亡き後、ラヴェルは作曲に専念することができず、苦しみの中、年1作ほどの寡作となってしまいます。

 

そんな中、発表されたのが、組曲「クープランの墓」です。

作曲に着手して以来、長い間発表されず、母の死後ようやく世に出ました。

6つの曲から構成されていますが、全てがとても上品、洗練されて近代的な作品です。

 

またこれらの曲はそれぞれ戦地で死を遂げた仲間たちへ献上されています。

 

  1. 前奏曲
  2. フーガ
  3. フォルラーヌ
  4. リゴードン
  5. メヌエット
  6. トッカータ

 

 

この中で、第3番「フォルラーヌ」がとても印象的です。

 

どこか奇妙なハーモニーとメロディが美しく、ドラマティックなようで、クール。

どこかエキゾチックな香りもあり、独特の魅力を感じます。

 

マミィ演奏録音 「クープランの墓より、フォルラーヌ」

 

もともとピアノ用の曲ですが、管楽器でのアレンジもとても素敵です。

ご興味ある方はぜひ聴いてみてください。

ボレロ

ラヴェルは、同時代に活躍していたストラヴィンスキーなど、ロシアの作曲家との交流も深く、さまざまな国で演奏をしています。

アメリカへ4ヶ月もの演奏旅行に出かけ、大成功を納め世界でその名を轟かせ、オックスフォード大学名誉博士号を授与されています。

黒人霊歌(ゴスペルの前身)、ジョージ◦ガーシュイン、アメリカの文化から刺激を受け、「ピアノ協奏曲ト長調」ではジャズの要素を大きく取り入れています。

 

そして、アメリカから帰国後、1928年に「ボレロ」が発表されました。

 

この楽曲はとても実験的、かつ斬新な曲です。

326小節に渡る長い長い同じフレーズの繰り返し。そして長い長いクレッシェンド(だんだん大きく)、

そして圧倒的なエンディング。

 

この「ボレロ」の作曲の起源についてラヴェル本人がコメントを残しています。

「この主題は執拗な性質を持っていると思わないかい?ぼくは何回もこれを繰り返すつもりだ。何も展開させず、オーケストラを徐々に膨らませながら」

 

本人にとって単なる実験であるのに、過大評価されすぎていると感じていたようですが、その斬新さが好評を博し、ラヴェル1番の有名曲となりました。

 

単なる実験とはいえ、この潔さと高揚感。何度聴いてもゾクゾクします。

マーチのようなリズム、スペイン民謡的メロディの反復。

ただ、演奏者にとっては精神修行となる楽曲ではないでしょうか。

 

「ボレロ」

レナード・バーンスタイン指揮です。

 

 

 

 

晩年

その後は神経衰弱症を患い、晩年は手紙や楽譜を書くこともままならなくなってしまいます。

病床でもずっと音楽への情熱を持ち、頭の中では新曲が完璧な形で仕上がっていたといいます。

ですが、それは楽譜に残すことはできませんでした。

 

そして、時代はラヴェルが伝統主義者から擁護し、称賛した新鋭作曲家エリックサティを中心にとした

次の流れへと進んでいきます。

 

ーーー

 

今回の印象派は、私にとって大変思い入れのあるテーマでした。

 

ドビュッシーとラヴェル、この2人が大きくクラシック音楽の世界を広げて、新しいものを作り上げました。

自分の音楽を信じて進むこと、時に波風がたっても強い自信を持って改革していくことを体現した2人の作曲家です。

 

そして私にとっては、音楽の可能性と自由を教えてくれた重要な作曲家です。

 

 

🎶今日のピアノ

 

ドビュッシーの「月の光」をアレンジしました。 美しく柔らかい曲で、おぼろげな月の光を見ている気持ちになる、そんな曲です。

 

 

ーー

 

参考文献

ドビュッシー―想念のエクトプラズム 青柳いづみこ著

ラヴェル 生涯と作品 アービー・オレンシュタイン著

執筆

ピアノ講師、ピアニスト、作曲家

東 真未

 

7才よりピアノを始める。洗足学園大学ピアノ学科卒業 。 ドビュッシー、サティ、バルトークなどの作曲家に影響を受け、幼少の頃より即興演奏に親しむ。近現代の作品を多く演奏し、卒業後はピアノ講師として5才から80才まで幅広く講師を行う。 自身がリーダーを務めるグループにて即興音楽を行い、数多くのセッション、バンドにキーボード として参加。作曲、アレンジ、ライブ活動、劇団や創作童話への楽曲提供及び演奏を行っている。ピアノを使った老化防止や心のケアを研究中。---マミィのピアノ教室、生徒募集中!!(※立川市、日野市にて実施)さまざまな用途、ご要望にお応えします。詳細はメールでお問い合わせください。また、本コラムへのご感想、質問などもぜひどうぞ!アドレス→ piano.mammyhiga@gmail.com

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