講演などで、ストレスモデルを紹介するときに、「私たち人間は、生きているとさまざまなストレスにぶつかります」と説明するのですが、年齢を重ねるごとに、この「さまざまなストレスにぶつかる」ことの重みが自分の体験とあいまって、確かなものになっていく実感があります。
私のストレス体験
特に、今年に入って、家族の手術や入院が続き、私たちの人生に起こるさまざまな困難と、その難しさとのつきあい方について考える日々が続いています。
病気をするというのは、歓迎されることではありませんが、私は人生の中で、ほとんどの時間、近くにその存在を感じながら生きてきました。
母は心臓に疾患があり、幼少期には、母が救急車で運ばれていくところを何度も見ました。
長期の入院も珍しくなく、入院している母に会いに行くことは、私の日常でした。
大学に進学して、上京したあとも、2~3年に1回は何かしら急に帰省しなければならない事象が起こりました。
そうこうしているうちに、今度は自分が潰瘍性大腸炎を発症したり、虫垂炎で初めての手術・入院を経験したりと、まさに病気とのつきあいが「自分ごと」になりました。
ようやく自分の病気が寛解期に入ったかと思ったら、父がステージⅣの肺がんであることがわかり、濃密な病院通いの4か月間を過ごすことになりました。
今年に入ってからは、1カ月以上を要する家族の手術・入院が2度立て続けに入り、今も渦中です。
それぞれの中に、さまざまな苦しみがあり、先の見えなさや、出来ることの少なさに無力を覚えることもあります。
この苦しさは、病気だけでなく、仕事や人間関係など他のさまざまな場面でも起こり得るものだと思います。
なんだか少し暗い話になってしまいましたが、私たち人間は、どうやってこの苦しさとつきあっていけばよいのでしょうか。
意味を見出すことは私たちの健康を促進する
私はその活路のひとつは「意味を見出す」ことだと実感しています。
わたし個人の経験でいえば、潰瘍性大腸炎になったことで「働きたくても働くことができない」という気持ちやもどかしさがわかったり、それまで当たり前だった1日何事もなくただ過ごせることに感謝を感じられるようになったり。
それらの経験は、私の仕事や人生を豊かにしてくれています。
心理学の領域でも、この「意味を見出す」ことは、私たちの健康を促進する要素のひとつとして研究されています。
ストレスフルな出来事・状況に対処することに意味があるということ、人生に起こる出来事やチャレンジングな状況には意義があると感じられることは、私たちが健やかさを保つのに役立つことがわかっています。
首尾一貫感覚
アントノフスキーという研究者は、アウシュビッツのような過酷な環境で生き延びた人々に共通する健康維持のメカニズムを探る中で、首尾一貫感覚(Sense of Coherence, SOC)という概念を見出しました。
SOCの3つの要素として、把握可能感(ストレスフルな出来事に直面したときその状況がどのようなものか理解できること)、処理可能感(ストレスフルな状況を自分が対処できるという感覚)とともに挙げられているのが、有意味感です。
有意味感とは、個人が自分の人生や経験に対してどれだけ意味を感じ、価値を見出しているかという感覚のこととされます。
安定した長期的な健康には有意味感の強さが必要とされているなど、その独自性を示唆する研究もあります。
とはいえ、渦中にいるときに意味を見出すことは難しいものです。
そんなときには、これまで経験した苦しい体験にはどのような意味があったのか、自分に何をもたらしてくれたのか、と過去を題材に問いかけてみることをおすすめします。
過去の苦しい経験に意味を見出せると、「今のこの苦しさにもいつか意味を見出せるかもしれない」とほのかな希望をもつことができるようになります。
それは、今の苦しさを乗り切る支えのひとつになってくれることでしょう。
【参考文献】
Antonovsky, A. (1987). Unraveling the Mystery of Health: How People Manage Stress and Stay Well. Jossey-Bass.