「いのち」についてディープな研究をしている10人の博士たちの科学の最前線に触れ、語りたくなってしまう書籍「いのちの科学の最前線 生きていることの不思議に挑む」をご紹介します。

「いのち」という壮大なテーマにも関わらず、さまざまな分野を絶妙に組み合わせることで誰でもが生命についての一端を理解できるように構成され、新たな角度や視点から知る事実に引き込まれてしまう1冊です。

 

またこの本は、研究者が書いた本ではなく、書いて伝える専門家である理系ライター集団「チーム・パスカル」と、研究者のコラボレーションであることも特徴の1つで、難しいであろう研究もスッと頭に入ってきてしまう内容となっています。

 

老化現象は不可避か?

そもそも老化とは何でしょうか?

東北大学 加齢医学研究所 加齢制御研究部門遺伝子発現制御分野の本橋ほづみ教授によれば、“加齢”は単に齢(よわい)を重ねること、“老化”は加齢に伴って臓器の機能低下が起きる現象を指しています。

この老化に対して、抗酸化作用と抗炎症作用を複合すると抗老化作用が達成されると言います。

老化による身体のトラブルは多岐に渡り、多くの方が知っている、体感していることだと思いますが、このトラブルは「慢性炎症状態」、すなわち炎症が長引いた状態によって引き起こされているようなのです。

“炎症”と聞くと、私は痛みや腫れを想像してしまいますが、同時に、炎症であるのであれば、どうにかこうにかして鎮めることができるような気もしてきます。

 

本橋教授は「まだ少し先の未来かもしれませんが、老化は制御できるようになるかもしれません」と語っており、この根拠には「Nrf2」という物質の活性化で抗老化作用がもたらされるという報告が出てきている事実があるようです。

ここで、あまり聞きなれない「Nrf2」とは何者で、どうしたら活性化されるのか、となりますよね。

Nrf2(Nuclear factor- erythroid 2 related factor 2)は、健康状態を維持するための「生体防御機構」を担い、細胞をストレスから守る「酸化ストレス反応」の核となる働きをしている転写因子のようです。

私と同じように転写因子とは何か、と思った方がいるかもしれませんので補足しておくと、体内で特定のタンパク質を作る必要があるとき、まず、身体の設計図と言われている「DNA(デオキシリボ核酸)」から、「mRNA(メッセンジャーRNA)」に必要な情報が”転写“されます。

新型コロナウイルスのワクチンで一躍有名になった、あのmRNAです

このmRNAへの転写を抑制・促進する特殊なタンパク質のことを”転写因子“と呼ぶそうです。すなわち転写因子とは、生命の設計図である遺伝子から必要なものをつくり出すためのスイッチのような働きをするものと言えるようです。

 

転写因子のNrf2は、私たちの身体が毒や酸化にさらされた際、「抗酸化タンパク質」や「解毒酵素」を生み出してくれ、大切な抗酸化物質である「グルタチオン」の合成を促進させることで酸化ストレスから細胞を守ってくれているらしいのです。「いわばこのシステムは、身体のパトロールと暴動の鎮圧を行う仕組みなのだ」と本橋教授は言います。

呼吸から酸素を取り入れて生命を維持している私たちは、身体に取り込んだ酸素を「活性酸素」に変えることで、免疫機能、感染防御、生理活性がなされているのですが、活性酸素が過剰になり、抗酸化防御機構を上回ること(酸化ストレス)で、細胞が損傷し、がんや老化、生活習慣病が引き起こされてしまうらしいのです。

そのため、Nrf2とがん、アルツハイマー病、多発性硬化症などとの関連も書籍の中では述べられており、今後の展望を知ることができます。

このNrf2が私たちの身体、健康にとっていかに重要な役割を担っているか、また日々身体の中で奮闘してくれていることを思うと、Nrf2のありがたみを感じずにはいられません。

実際の研究では、視力を損失した緑内障のマウスに転写因子を発現させることで視力が回復する実験が報告されたりと(他にも複数の研究が紹介されています)、ながらく不可逆の自然現象だと考えられてきた老化や死について、近年では、不可逆とは言い切れないということが分かりはじめているのです。

 

では、どうすればNrf2は活性化されるのでしょうか?

本橋教授は「薬よりも食事」と述べており、「たとえば、ブロッコリースプラウトのスルフォラファン、パクチーに含まれるアルテンなどがNrf2の活性化に寄与する」そうなのです。

私がこの2点を即日スーパーで購入したことは言うまでもありませんが、私たちが健康寿命の延伸のために実践できることを日々の生活に取り入れたり、研究者の方々から発信される情報に興味を持ち、キャッチしていくことが健康長寿の更なる発展に繋がるのだろうと思っています。

生物が繰り広げる工夫された美しい生き残り戦略から見える生命・いのち

“酵素の研究が解く「性」のグラデーション”というタイトルで始まる、大阪大学大学院 生命機能研究科の立花誠教授の章では、性について、二項対立的に雄雌(男女)を捉えるのではなく、連続する表現型(性スペクトラム)として捉えるべきであると述べられています。

性スペクトラムの概念とは、典型的な雄雌だけではなく、雌に近い雄、雄に近い雌など、間の性が存在するらしいのです。あまり馴染のない「スペクトラム(spectrum)」という単語ですが、境界のない連続した状態を指す言葉のようです。

生をうけたときから男女に明確に振り分けられ、二項対立的な男女を基盤に発展している性に関する議論などを鑑みると、興味を抱かずにはいられないテーマであり、性にグラデーションがあるという事実は個人的にとても好きなキーワードでした。

 

性にグラデーションがあるとはどういうことでしょうか?

私たちの性の決定に関わる「性染色体」には2種類のX染色体とY染色体があり、この組み合わせがXYだとオスになり、XXだとメスになることが知られています。

これまでの研究で、オス化を促すための遺伝子としてY染色体にある「SRY(エスアールワイ)遺伝子」が発見され、本来メスになるはずのXXマウスにSry遺伝子を導入すると、そのマウスがオスになることが報告されたため、SRY遺伝子が性決定の仕組みであることが明らかになったと思われていました。

そんな中、マウスのSry遺伝子の働きを調整する酵素「Jmjd1a(ジェーエムジェーディーワンエー)」を立花教授の研究グループが発見し、SRY遺伝子が存在するだけではオスにはなれないという報告が多くの研究者たちに衝撃を与えることとなります。

恥ずかしながら私はこのニュースをキャッチしていなかったのですが、新聞やメディアなどでも「オスをつくるために必要な酵素の発見」と、大きく取り上げられたようです。

 

Jmjd1aの働きを調べるために進めていた研究で、Jmjd1aをつくる遺伝子を壊したノックアウトマウスを作ったところ、111匹のマウスのうち87匹がメスの姿をしていることに疑問を抱いたことがこの発見に繋がります。そのマウスを解剖したところ、オスの姿をしているマウスの中に、オスとメスの両方の生殖器を持つマウスが発見されました。書籍には精巣と精巣上体、卵巣と子宮の両方を持つマウスの生殖器の写真が掲載されていたりと、生命の不思議にジワジワと引き込まれていきます。

そして、ノックアウトマウスの染色体を調べると、染色体の組み合わせは、XXが53匹、XYが58匹だったとのこと。

そうなんです、Y染色体を持ち、本来オスになるであろうマウスの中に、卵巣を持って完全にメス化したマウスが34匹、卵巣と精巣の両方を持つマウスが7匹もいたそうです。

 

どのようなメカニズムでSry遺伝子の働きが調整されるのか?

DNAの配列は受精した段階で決められて、それが一生変わらないことは間違いないらしいのですが、この遺伝子の使い方は後から決めることができるそうなんです。

これは「エピジェネティクス(エピ:後からの、ジェネティクス:遺伝学)」と言われ、細胞のこのような柔軟なシステムとのことを言います。

そんなシステムがあると思うと、人類を含む多くの生命体が生き残りをかけて進化を遂げてきたことに納得がいくような気がしてきます。

Jmjd1aは、Sry遺伝子が入っているふたの鍵を開ける、すなわち遺伝子の働きを制御できる酵素のようです。そのため、Sry遺伝子が入っているふたを開けないとなればSry遺伝子が働けないためマウスはオスになることができない、ということらしいのです。

ちなみに、ふたを閉める「G9a/GLP複合体」という酵素も存在していて、このふたの開け閉めによって性は制御されているとのこと。マウスがオスになるかどうかは、遺伝子の働きのスイッチ役であるこれらの酵素が、DNAを巻きつかせているヒストンタンパク質を「メチル化」するとメスになり、「脱メチル化」するとオスになるのだそうです。

 

マウスをベースに話が進みますが、ヒトの場合においても、性染色体がXXY型で生まれて精巣が十分に成長できなかったり、XY型なのに女性の身体に近い特徴を持っているなど、性の線引きが難しい場合があることや、典型的な男性・女性の枠に収まらないヒトの存在は昔から認識されていたようです。

自然界では、多くの動物種でメスのような外見や行動を示すオスや、精巣と卵巣を同時に持つ個体などが見つかっているそうです。

ヒトにおいても同じようなことが起こっている可能性があるかもしれないと思うと、性を捉える自分の世界観が変わったように感じるとともに、生命のあり方としてしっくりくる部分があるなあと思います。

 

立花教授の研究はさらに前進します。

マウスのSry遺伝子が働くのは受精後11.5日という限られた時期だけであり、この時期にSry遺伝子の近くの配列から見たことがないRNAがつくられていることを発見します。

このRNAの存在は何を意味するのでしょうか?

RNAは遺伝子の情報を写し取ったタンパク質の注文票であるため、その遺伝子のスイッチがオンになって働いている証拠と言えるそうです。

そこで、この見たことがないRNAの配列を削ったノックアウトマウスをつくると、XY型の染色体を持っているにも関わらず、すべてメスになったと言います。

このRNAは何者か、と思った方も多いはずですよね。

この見たこともないRNAからは新規のSRYタンパク質がつくられていることが分かり、これこそがマウスの性を決定する真のオス化因子だったということです。

しかも、「見つかった配列は大昔にDNAに取り込まれたウイルス由来の配列だと考えらえる」というので、突如登場するウイルスに混乱しないわけにはいきませんが、どうやら私たちのDNAにウイルス由来の配列が紛れ込んでいることは複数の研究から分かっているため珍しいことではないそうなのです。

この事実を知ると、いかに巧みな戦略と、もしくは幸運な偶然を繰り返しながら、性や種が受け継がれてきたという生命の不思議と、私たちもその中の1つであるという奇跡に深く感動してしまいます。

 

おわりに

書籍の中では他にも、免疫学、腸内微生物、細胞死、遺伝子疾患、粘菌の生態、蛋白質構造、免疫機構、遺伝性制御、こころの働きなどについて取り上げられ、まるで「いのち」をテーマにした物語のように、ワクワクしながら読み進めることができます。

生命現象の源であるタンパク質が何モノなのか、「病は気から」は本当なのか、ヒトの細胞と微生物で構成されているスーパーオーガニズム(超生命体)である人間とは何なのか、驚くべき腸の免疫機能など、まだまだ紹介したい内容がたくさんありますが、生物の不思議を紐解く知見に触れ、「いのち」について考える時間を作るきっかけになるであろう書籍の一部を紹介させていただきました。

 

いのちの科学を知ったことで、生活習慣病、がん、アルツハイマー型認知症、神経難病などの私たちの身近にある疾病をはじめ、いのちに関わる様々な現象に対する見方や捉え方が変わっていく自分に気づくことができます。

この書籍の最後の章では「こころ」についての研究をしている河合俊雄教授が取り上げられているのですが、河合教授は「いのちとこころは、ほぼ同義だと考えています」と述べています。

人間にとって生きることは、身体の細胞が上手く働いているだけではないという言葉からは、情報化社会やインターネットの発展で人と人との温かみのある交流が減少したり、自殺者数が増加してる現代社会の深刻な問題をも考えずにはいられない強いメッセージとして受け取ることができます。

これからも更なる新しい事実が生まれるであろう「いのち」について、今わかっていることに触れたことで、「いのち」あることのありがたみや神秘を感じつつ、研究者の方々の成果にあやかりながら私たち自身が積極的に行動を起こしていくことも、心と身体の健康長寿の展望を開くことに繋がるかもしれないと思えた1冊です。

執筆

大西安季

 

理学療法士。筑波大学大学院人間総合科学研究群在籍。理学療法士として、就労世代から高齢者まで、幅広い世代の健康づくり・健康教育に関わっています。介護予防、疾病予防、健康寿命延伸といった取組みに特に興味があり、世の中にある沢山の情報を多くの人と共有し、より良い生活の一助となることを目指して活動中です。

この記事をシェア

編集部おすすめ記事

人気記事ランキング