
楽譜の見方や読み方について、前にも一度お話してますが、説明が足りていないかもしれませんね。

もう少し具体的に聞きたいな。
楽譜をみてすぐに弾く、とは?
ピアニストがなぜ、初めてみる楽譜なのにピアノが弾けるのかについて、
第2回目のコラムで楽譜をテーマにお話ししました。
その時ピアニストが初見で弾くとき、必ず先を見ている、とお伝えしました。
先を見て弾く、とは一体どういうことか…今日はもう少し詳しくお話しします。
一つには楽譜の見方があると思います。
初心者の方の視点(赤)と、経験者(青)の視点の比較
初心者の方(赤)は音符1つずつ追っています。
一方、経験者(青)は、小節内の縦に並んだ音、フレーズを固まりで見ます。

長く楽譜をみている経験者にとっては、1つ1つの音符を追う、ということをもはやしておらず、束にして捉えます。これがスピードの違いであることは間違いありません。
とはいえ、音符に慣れていない方にいきなりこれをやってください、というのは無謀です。
なので、まずはメロディのみの楽譜を用意して、音符に慣れていくことをお勧めします。
いきなり複数の音符を並べられても何から見ていいかわからないですよね。
一つずつの音符に慣れてきたら、今自分が弾いている音を見つめるのではなく、すぐに隣を見る、という先読みをしてみます。
下の図は、先読みの際の視線の位置を表しています。
赤い枠は今弾いている所、青い枠は弾いている時の視線です。

これはめちゃめちゃ脳に効きそうだな~

本当にそうなんですよ!
脳に刺激を与える、という点で、今弾いている音の先を見る、という作業はとても有効です。
今自分が弾いて音を聴いて覚える(聴覚記憶)で右脳を刺激します。その先をみて次の動きを感知する(動体視力)、で左脳を、というように、左脳と右脳の両方に作用します。
また、鍵盤のブラインドタッチも必要です。それができるようになるには、触覚や指の間隔、先を予測した動きの指令など、運動機能も使います。
楽譜の先読みや初見試奏は、さまざまな能力を総動員することが必然となります。
いやでも脳の動きが活発化するわけです。
初めのうちは、ちょっと頑張れば弾けそうな簡単な楽譜などでやってみます。
そして止まってしまったらゲームオーバー、のように1人でやる時にも緊張感を持ってやってみると汗をかくほどです。
緊張した後は、ゆっくりその曲を止めながらやってみる、など緊張と弛緩の両方を味わいながらやってみることをおすすめします!
音符を先読みするトレーニング
こればかりは練習あるのみ!なのですが、どうやったらよいか。
1つ練習方法をご紹介します。
右手で弾く場合は、左手で、今弾いている音を隠していきます。
弾いた音符は見えない状態です。
徐々に隠すタイミングを早めていき、先読みしている音符を増やしていきます。

追っかけられてるみたいでドキドキする~!

そうだね。なんだかとっても忙しいね。でも先読みして弾けると譜読みがとっても早くなるよ。

みてぱっとわかるといいなあ。
楽譜の情報
楽譜にはその曲の音はもちろん、テンポ、曲の調整、拍子、曲のムード、などなど
さまざまな情報が入っています。
どの楽譜にも共通に使われているので、見るコツを少しお知らせします。
まず、最初に何をみて曲調をイメージするか、楽譜と一緒にご説明したいと思います。
「悲愴第二楽章」ベートーヴェン作曲です。
この指示を守ったバージョン、守らないバージョンの二種類の演奏です。
下の楽譜を見ながら聴き比べてみてください。
(8小節目まで、最後は和音にアレンジしています)
・A:楽譜の記載に気をつけた弾き方
・B:楽譜の記載を無視した弾き方
赤の四角で囲った表記は、「Adagio cantabile (アダージョ カンタービレ) 」
イタリア語で学語表現です。意味は「ゆったりと歌うように弾く」、ということです。
この意味を理解して表現すると、Bの演奏のようにはならないはずです。
また同じく赤の四角で「2/4(4分の2拍子)」です。曲全体に関わるリズムの指示です。
こちらを取り違えてしまうと、リズムの括りが異なった曲となってしまいます。
Bの演奏はどちらかというと、2拍子ではなく4拍子的です。
青の四角、スラーについて。
ただの線のみで、ただの飾りのように見えますが、とても重要です。
スラーがかかっている部分は、音と音が自然につながるように、弾き方を工夫します。
実際歌ってみると、スラーがかかっている部分で息継ぎはできません。
こちらもBは完全に無視した弾き方をしていますね。
皆さんはどのように感じられたでしょうか?
作曲家のイメージ=楽譜と考えれば、まずはそれに従い、根拠を持った上で弾くということが、学ぶという姿勢です。
それを理解した上で、新しいものを作っていかないと、本当の意味で新しいとはいえないと私は思います。
音符だけ見て適当に弾こう、となるとそれは気楽で楽しいかもしれませんが、それはただ音が正解なだけで、狙いや中身のない音となってしまいがちです。
私はこう弾きたい!
近年では、You Tubeなどの動画から演奏を聴き、楽譜をきちんとみる習慣のない方も増えています。
いわゆる耳コピの技術もみなさん発達してきていて、楽譜が読めなくても音楽をできる方が多くいらっしゃいます。
耳の感覚が優れていて、とても素晴らしさいことです。
その一方で、じっくり楽譜を見て、そこからイメージを膨らませていく、と言う作業をする方は少ない印象です。
レッスンに通われている方は、先生から楽譜通りに!と言われると、うるさく感じてしまう方もいらっしゃいます。
自由にやりたい、と。
まずそこで問題なのは、ただ指示通りに何かをやることに人はストレスを感じるのではないか、ということです。
必要なのは、自分がその理由を咀嚼して、納得できるか。
やってみてプラスになる、意味があると感じないと、人は拒否反応を起こし働きが悪くなってしまいます。
自分で楽譜や活字などからイメージを膨らませることとは、
例えば、最初から映画を見て物語を理解するか、本で活字から登場人物のイメージや声、舞台のイメージをを作っていくか、この二択と似ていると感じます。
私自身は、活字から作るイメージを持つことを大切にしています。
よく本がヒットし、映画化されることがありますが、本を読んでから映画を見た場合、
大抵が自分のイメージとあまりにも違っていてがっかりしてしまいます。
反対に素晴らしいと期待を上回った!と嬉しくなります。
つまり、それだけ私の脳内には、その登場人物や映像のイメージができ上がっている、といえるでしょう。
音楽の場合も、まずは楽譜を眺めて、ある程度イメージしてから弾いてみます。
弾いていて、曲をどう組み立てて良いか悩んだ場合だけ、ヒントをもらうという意味で誰かの演奏を聴くようにしています。
最初から誰かの演奏に縛られてしまっては、なんだか自分で作った音楽とは思えませんし、人任せとも感じます。
このイメージを作る、ということが、自分の世界を広げることとつながっているのではないでしょうか。
人はこう弾いているが、でも私はこう弾きたい!
楽譜の解釈は自分で作る!
そういった気持ちで取り組ませるような教育が日本では少ないのではないかな、と感じます。
先生に言われたから、と正解を自分で探すことが少なくなっていると思うのです。
表現そのものが受け身となってしまっていることが、日本人がテクニックはあっても消極的な演奏をする学生が多い、と言われる所以ではないでしょうか。
私自身も、長い間受け身の姿勢でレッスンを受けていました。
学生でなくなったある時から、イメージは自分で作る!
アドバイスはありがたくいただくけれども、最終的に作るのは自分の世界だ。
このスタンスでやっていききたい、と感じていました。
私が感じていない世界は表現できません。
人真似や、言われたままに演奏した場合、それがいい評価がもらえなかった時、それを人(先生)の責任にしてしまいそうです。
弾くのは私自身で他の誰でもありません。また先生のためだけに弾くのでもありません。
自分の世界を聴いてくださる方々と共有し、自分の世界を広げていくためです。
その意識は、失敗も成功も大いに自分の糧となり、これからのパワーの源となっていくと思うのです。
楽譜は、活字です。
その登場人物をどんな風に描くかは、演奏者に委ねられています。
まずは作曲家の意図を理解して、自分なりにイメージする。
何世紀にも渡り、クラシックが現代でもこれほど演奏されているのは、現代の音楽家たちがそれぞれに自分の表現を挑戦したいから、と感じています。
みなさんも機会があったら、宝探しのように楽譜を開いてみて、知らない曲にトライしてみてください。
まずは難しく考えず、初めの一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか?
<参考>
・ピアノの初見演奏に対する演奏指導が頭頚部および視線の動態変化に及ぼす影響
洗足学園音楽大学
昭和大学保健医療学部/昭和大学スポーツ運動科学研究所
音符はかなり読めるようになってきたけど、楽譜をみてすぐに弾けるまではほど遠いなあ。