はじめに

※ここでいう中東の宗教とはイスラーム教をさしています。

近年の調査(2018年)によると、宗教の自由が保障されている日本に住む多くの人(約5-7割)が自らを無信仰者であると回答し、その他3割程度が神道や仏教を信仰しているとしています。

日本人にとって、宗教というともちろん人によりさまざまな概念があると考えられますが、“怪しい”、“勧誘”、“カルト”などネガティブな印象を持つ人、または“心の拠り所”、“生き方”、“道徳”など、そこに精神性を浮かべる人もいるかもしれません。日本において特に戦後生まれの多くの人は宗教及び、宗教的なことを日常的にそれほど意識せず、イベント時に意識するくらいですごしているのではないでしょうか。

今回は、縁があり20年以上にわたってイスラームや中東にかかわりのある筆者が、日本の宗教と中東における宗教(イスラーム)のあり方について紹介させていただこうと思います。

イスラームとは?

イスラームと聞くとどのようなイメージを思い浮かべられるでしょうか。“怖い”、“テロリスト”、“戦争や紛争”でしょうか。実は“イスラーム”とは、アラビア語で、“平穏・平和”、“帰依”等といった意味があります。イスラームを信仰する人のことをアラビア語でムスリム(女性はムスリマ)と言います。そして、彼らの挨拶は、“アッサラーム アライクム” (あなた方に平穏がありますように)なのです。意外ですか。
イスラームの信仰は、1、信仰告白(唯一の神<アラビア語でアッラー>以外に神はなし十と言うこと)、2、礼拝、3、ラマダーン月の断食、4、喜捨、5、巡礼(肉体的、経済的に可能な人のみ)の五つによって成り立ちます。日本語で“アラーの神”という誤った表記が以前はありましたが、神=アッラーです。

イスラームは中東だけの宗教か?

日本ではまだまだなじみの薄いイスラームですが、現在信仰している人は世界に約16億人いると推定され、キリスト教に次ぐ世界で二番目に信者の多い宗教です。イスラームは中東で始まった、そのような意識から中東に信者数が多いと思われがちですが、世界中のムスリムのうち中東に分布しているといわれているのは約20%です。
中東と一口にいっても東はイラクあたりから西はモロッコまでと広く、国によって宗教のあり方ももちろん様々です。例えばレバノンではムスリムは国民の半数ほどです。また外国人人口が比較的多い湾岸地域においては人口に対するムスリムの数が7割程度、中東全体におけるムスリムの占める割合は80-85%程度とされます。

イスラームとほかの宗教との違いや類似点は?

イスラームがほかの宗教と大きく異なるところの一つ目として、まずは“唯一神の信仰”が挙げられるでしょう。ほかの多くの宗教においては、信仰の対象が一でなく、例えば宗派にもよりますが、キリスト教では、神(父)と精霊とイエスの三位一体、イエスは神の子であるとすること、また神道であれば八百万の神々が神々から生れ、ヒンドゥ―教では3大神がおり、仏教においては様々な仏や如来など、これらは多神の要素があり、その上神に子があるという概念がありますが、イスラームは信仰の対象は唯一、神のみ、となっており、神は産みも産まれもしない存在です。

そして、またほかの宗教と大きく違うところには、仏像、キリスト像といった偶像を崇拝しないというところも挙げられます。また、イスラームにおいては、信仰は個人と神との直接のものであり、司祭や神父、尼や僧など人々と信仰対象の間に人が介することがありません。その他にも多くの違いがありますが、類似点もたくさんあります。例えば、ユダヤ教、キリスト教とは、神から同じ預言者達が啓示を受けそれを人々に知らせたという点において同じです。イスラームでは、モーセもキリストも尊敬・愛すべき預言者の一人です。

また、親孝行、人々や生き物に対するやさしさ、清潔にすること、合法に稼ぐこと、嘘をつかないこと等々、ほかの宗教でも教えられているような共通の点がたくさんあり、教えの多くが日本人も道徳やマナーとして身に着けてきたことだと気がつきます。もしどこかでごく平均的なムスリムに出会えば、メディアで知る“イスラーム”が歪んだ、一部のこと、例えるなら、日本人全員がオウム真理教で事件を犯した人だ、といっているくらい偏向していると気づくでしょう。

イスラームは生きる上での指針

イスラームは預言者ムハンマドによって西暦600年ごろのアラビア半島において創められ た、とどこかで読んだことがある人もいるかもしれませんが、イスラームでは、神が人間を創られ、その生き方としてイスラームを定め、最初の人間アダム(アーダム)以降、人々の中に時代ごとにアブラハム、モーセ、イエスなどの預言者が送られ、最後の預言者がムハンマドであり、最初から最後の日まで同じメッセージが受け継がれていきます。

イスラームって、豚肉を食べてはいけない、とか、お酒を飲んではいけない、等いろんな変わった決まりがある、と思われている人もいるでしょう。

これらの決まりは、神が人間をお創りになられた際に、一番よく生きられる方法として定められたものとされ、簡単に例えると、いわば取り扱い説明書にある扱い方とでもいえるでしょう。
イスラームにおいて、最初の人間アーダムとその妻は、悪魔に唆されて神が食べてはいけないといった木から(誰が、どの木のどの実をという記述はイスラームではなし)食べてしまい、地上での生活が始まります。ですが、人間は 罪を償うために生まれてきたのでもなく、何度も生まれ変わるわけでもなく、1度限りの現世と、永遠の来世があり、この世で起こるすべてのことが神の意思により起こっていると信じています。そのためそこに正義があります。

ムスリムであると自覚している人は、もちろん人によって違いはありますが多かれ少なかれその規律に沿って生活しており、たとえあまり敬虔ではない人であっても、何より彼らから強く感じるのは根底に心の拠り所がある(=起こっているすべてを神が計画されたことであり自分にとって悪いことのように思われてもそれは良いことである、来世がある、生きていく指針がある)という強みでしょう。

日本においては信仰というよりも文化である

日本に住む多くの人々は、「とくに信仰しているものがない」と回答しており、戒律や教えなど詳しく知らないし、日々仏や、神道の神々を拝んだり、その教えに則った暮らしをしたりしているわけでもないけれど、死んだときは仏教もしくは神道のやり方で葬式をしてもらうだろう、または、正月には初詣に行き、バレンタインを祝い、七五三をし、ハロウィーンをし、クリスマスを楽しむという人は多いでしょう。

でもそれは信仰というよりは文化と言えるのかもしれません。このあたりに大きな違いがあるように思われます。イスラームは日々の礼拝から、すべてが“生き方”であり、そこに目的があるように見えます。何か人生に行き詰まり、災難にあった場合、もしくは、何もかも手に入っても心の平穏を得られず生きてる意味が分からない、もしくは、死を恐れているという人も確固とした信仰のない人に多いのかもしれません。

執筆

名波 陽平

 

約10年間の臨床、研究、教育活動を経てメディカルライターとして活動中。常に新しい論文に目を通し、健康増進に関わる幅広い分野において、正しい情報を発信しています。また、日本と海外との医療・介護の違いを分かりやすく伝えることで、読者の皆様にとってよりよい生き方のヒントになればと考えています。

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