中東を知る「未知を解明!中東を学ぶ」シリーズの今回のテーマは、医療事情です。

中東は実は、医療に関しては近年先進国並みの病院を誘致し開業しております。

参考:先進国の病院が拡大している中東の医療需要に注目-中東最大医療機器展示会「アラブヘルス」開催(3)-

ただ、テロや紛争のイメージが強く残るイラク。イラク軍がイスラム過激派組織「イスラム国」から第2の都市モスルを奪還して4年が経過しますが、イスラム国台頭の以前、以後でイラクの医療事情はどのように変化したのでしょうか。

また現在、猛威を振るう新型コロナウイルス感染症のパンデミックにどう立ち向かっているのか?を今回はお伝えします。

中東随一の医療国家であったイラク

1970 年代から 1980 年代初頭にかけ、イラクでは病院中心型の医療システムが全国に展開され、当時既に都市部の 97%、地方部の 71%の人口をカバーするなど、中東において随一の医療体制が構築されていました。

また、出生人口千人あたりの乳児死亡率は 1979 年に80であったのに対し、1989年には40まで半減し、同様に5 歳未満児死亡率は 120 から 60 へと大幅に改善していました)。

<参考文献>

独立行政法人国際協力機構(JICA).イラク共和国保健セクター復興事業準備調査報告書

しかしながら、1990年イラクのクウェート侵攻により始まった湾岸戦争、それに対して国連がおこなった経済制裁、2003年にアメリカをはじめとする連合軍がイラクへ武力行使をすることで始まったイラク戦争など、様々な紛争や政治的混乱により、イラクの医療システムは荒廃しました。

それにより多くの医師が国外へと脱出し、医療人材の不足も深刻な状況に陥り、質・量の両面において十分な医療サービスを提供することが困難となりました。それに追い打ちをかけたのがイスラム国の台頭です。

イスラム国のテロ行為により変化した医療体制

2004年の声明発表以来、イスラム国はイラクにおいて、政府や治安部隊、クルド人勢力、イスラム教スンニ派以外の宗派・他宗教の住民などを標的にテロ行為を繰り返しおこなってきました。テロ行為によりイラクでは病院などの施設が破壊されるだけではなく、医療従事者が拉致されるなどの事件も多発しました。

イスラム国の戦闘員数は、2015年の最盛期には約3万3,000人でしたが、2017年7月のモスル奪還以降減少が続き、2017年12月時点では、1,000人未満になったとされています。それでは、イスラム国の弱体化に伴い、医療体制も改善したのでしょうか。

進まない医療体制の復旧

国境なき医師団によると、奪還後1年が経過した2018年時点のモスルでは、数千人規模で住民の帰還が続く中、医療施設は瓦礫に埋もれ、復旧は遅々として進んでいないと報告されています。

モスルにあった公立病院の多くは紛争の最中に損壊して医療体制は完全に崩壊したとされています。病床数は医療体制の指標に用いられますが、モスルでは、人道援助が必要な状況下で国際的に最低限と定められた基準の半分しか満たしていませんでした。

イラク全体を見ても、人口千人あたりの医師の数が2010年に0.7人であったのが2018年も変わらず0.7人であり、これは日本の3分の1以下の数値になります。また、人口千人あたりの看護師数は2.0人とこれも近隣国と比べて低い数値であり、イラクの特徴として男性看護師が女性看護師の約2倍と女性看護師の数が非常に少なく、女性看護師の充足が喫緊の課題であるとされています)。また健康寿命を比べてみると、日本が74.1歳であるのに対し、イラクでは62.7歳と10歳近く下回っています。

これらのデータからも、イスラム国の弱体化後も依然としてイラクの医療体制は脆弱であることが伺えます。

<参考文献>

ワールド・データ・アトラス.健康に対する人口1000あたりの人的資源

イラクにおける新型コロナウイルス感染症の流行

2021年7月現在、新型コロナウイルス感染症の流行により脆弱であるイラクの医療体制はさらに逼迫しています。

国境なき医師団が運営している病院では、新型コロナだけではなく、緊急診療や、妊産婦・新生児ケア、小児診療、心理ケアなど、人びとに不可欠な医療サービスを幅広く提供し、従来のサービスの維持に奔走しています。しかし、医療人材や病床の不足により新型コロナの感染拡大を防ぐことが出来ず、従来の医療サービスにも十分なリソースを割くことができていない現状です。

また、モスルでは感染が疑われる症状があっても受診をためらう人々が少なくありません。その理由は、新型コロナに感染した人びとが差別を受けることがあるためです。

国境なき医師団は、症状があったらできるだけ早く受診することが、自分のためにも地域のためにもなるのだと訴え、新型コロナの予防法を伝えるオンラインキャンペーンを開始しました。既存の必須医療を守りながら、新型コロナウイルスへの新たな対応が進んでいます)。

<参考文献>

国境なき医師団.新型コロナウイルス:イラク、コロナ禍の中で誕生する命 止めてはならない必須医療サービス

勢いを取り戻すイスラム国

2021年1月、イラク・バグダッドで2度の自爆攻撃があり、少なくとも32人が死亡し100人以上が負傷しました。これはバグダッドでの自爆攻撃としては過去3年間で最大規模であり、イスラム国が犯行声明を出しています。その他、国連が発表した報告書によると、イスラム国は数百億円超の軍資金を使って、各地で忠誠を誓う組織との連携を強め、攻撃に備えているとされています。

このように、イスラム国が息を吹き返した一因が、イラク政府の新型コロナ対策だと指摘されています。外出制限の取り締まりなどで兵士を都市部に配置換えし、イスラム国が潜む山間部の治安維持が手薄になったことがイスラム国が勢いを取り戻してきた原因の一つだと考えられています。

イラクにおける新型コロナの感染者数増加は他の国比べて勢いが衰えず、7月3日時点で感染者数は約136万に達し、一日平均約6,000人の新規感染者が報告されています)。更なる医療崩壊を防ぐためにも、十分な新型コロナとテロ対策の必要性が叫ばれます。

<参考文献>

REUTERS COVID-19 TRACKER.イラク

執筆

名波 陽平

 

約10年間の臨床、研究、教育活動を経てメディカルライターとして活動中。常に新しい論文に目を通し、健康増進に関わる幅広い分野において、正しい情報を発信しています。また、日本と海外との医療・介護の違いを分かりやすく伝えることで、読者の皆様にとってよりよい生き方のヒントになればと考えています。

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