2018年に全国8地域で行われた厚生労働省研究班の大規模研究によると、日本において65歳以上の約7人に1人は認知症であると推定されています。
アルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)は高齢者における認知症の原因の中で最も多く、6割以上を占めます。高齢化が進行する現在、アルツハイマー病の病態や治療法の解明は私たちの社会にとって大きな課題であり、私たち一人一人にとっても非常に身近な問題です。

 

アルツハイマー病は物忘れや日時や季節の取り違えなどといった症状から始まります。少しずつ日常の行動が困難になり、後期には会話が困難となったり、歩行や食事にも介助が必要となったりします。
アルツハイマー病では、脳にアミロイドベータと呼ばれる異常なタンパク質がたまることがわかっています。それに伴って脳細胞が損傷したり神経伝達物質が減少したりして、徐々に脳が委縮します。

 

6-MSITC(6-メチルスルフィニルヘキシルイソチオシアネート)は日本の本わさびに少量含まれる成分です。細胞実験や動物実験において6-MSITCは抗炎症効果、抗血小板効果、抗がん効果などをもつことが示されています。

<参考>

Adv Pharmacol Sci, 2012 Aug 15

Molecular Mechanisms Underlying Anti-Inflammatory Actions of 6-(Methylsulfinyl)hexyl Isothiocyanate Derived from Wasabi (Wasabia japonica)

6-MSITCはNrf2(Nuclear factor erythroid 2-related factor 2)と呼ばれる分子を活性化させます。

<参考>

J Agric Food Chem, 2011 Nov

Dynamics of Nrf2 and Keap1 in ARE-mediated NQO1 expression by wasabi 6-(methylsulfinyl)hexyl isothiocyanate

 

Nrf2は抗炎症反応、抗酸化反応、抗細菌作用などをもち、それらを通じて細胞を保護する分子です。Nrf2が脳の機能維持に重要な役割を果たすことや、抗酸化反応を介して脳の中の視床下部と呼ばれる部分の神経細胞を保護することがわかっています。

 

今回は、2020年3月に東北大学のグループが加齢医学研究所のメンバーらと協力して発表した研究論文の内容をご紹介します。

<参考>

ASM Journals, 2020 Mar

Nrf2 Suppresses Oxidative Stress and Inflammation in App Knock-In Alzheimer’s Disease Model Mice

この論文の筆者らは、アルツハイマー病の患者やアルツハイマー病モデルマウスの脳ではNrf2の発現レベルが変化していること、アルツハイマー病患者の脳では神経細胞の炎症が起こっていることに注目しました。アルツハイマー病の病態にNrf2が重要な役割を果たしているのではないかと考え、アルツハイマー病のモデルマウスにおいて、Nrf2を介した抗酸化効果、抗炎症効果を検討しています。
さらに、6-MSITCを同じアルツハイマー病モデルマウスに投与したデータについても示しています。

  

6-MSITC投与の研究方法

アルツハイマー病モデルマウス(以下、アルツハイマー病マウスと記載)と、アルツハイマー病モデルマウスとNrf2を多く発現するように遺伝子改変したマウスを交配して生まれたマウス(以下アルツハイマー・Nrf2マウスと記載)を用意し、正常マウスと比較しています。

6-MSITC投与の研究結果

アルツハイマー病マウスにおいてNrf2を活性化させると、認知機能が改善した

アルツハイマー・Nrf2マウスの脳では、Nrf2の活性化に反応して抗酸化反応を示すマーカーが増加していました。このことから、アルツハイマー・Nrf2マウスにおいてはNrf2が活性化していることが確認されました。

正常なマウス、アルツハイマー病マウス、アルツハイマー・Nrf2マウスそれぞれに認知機能を調べる行動実験を行ったところ、いくつかの実験では差が見られませんでしたが、受動回避学習試験を行ったところ、アルツハイマーマウスでは正常なマウスと比較し認知機能が低下していましたが、アルツハイマー・Nrf2マウスではアルツハイマーマウスと比較し有意に認知機能が改善していました。

受動回避学習試験とは、マウスが嫌がる空間記憶を評価する行動実験です。暗いところを好むマウスを明暗の部屋がつながったケージに入れ、暗い部屋に入ったところで電気刺激を与えます。これをマウスが学習すると、暗い箱に行くことを回避するようになるので、暗い部屋に入るまでの時間を評価します。

アルツハイマー病マウスにおいてNrf2を活性化させると、炎症反応、酸化ストレスが改善し、神経細胞へのダメージが軽減した

アルツハイマー病マウスの脳では正常マウスと比較して炎症をあらわすマーカー、酸化ストレスをあらわらすマーカーが増加していましたが、アルツハイマー・Nrf2マウスでは、それらのマーカーが改善していました。

また、アルツハイマー病マウスの脳では、脳内にアミロイドベータがたまっているアミロイド斑周囲の正常な神経線維が減少していましたが、アルツハイマー・Nrf2マウスでは神経線維が回復していることが分かりました。

 

6-MSITCはNrf2を活性化させてアルツハイマー病マウスにおいて認知機能を改善した

筆者らは長期間にわたり安全に摂取でき、Nrf2活性化効果の報告されている物質として、6-MSITCに注目しました。正常マウスとアルツハイマー病マウスに、生後1か月から11か月までの間(マウスの寿命は2年程度)、6-MSITCを飲み水に混ぜて投与しました。

長期間の6-MSITC投与でも、特にマウスの健康上の問題は認められませんでした。
受動回避学習試験で評価したところ、アルツハイマー病マウスにおいて低下していた認知機能が6-MSITC摂取により有意に改善していました。6-MSITを投与されたマウスの脳においては、Nrf2が活性化されていることが示唆されました。

 

まとめ

今回の研究で、遺伝子改変により脳内のNrf2を活性化させることで、炎症や酸化ストレスを軽減させ、アルツハイマー病モデルマウスにおける認知機能を改善できることが明らかになりました。Nrf2を活性させることにより様々な病気のリスクが減ることが示されていますが、アルツハイマー病におけるNrf2活性化の効果が明らかになりました。

さらに、ワサビに含まれる天然成分である6-MSITCもNrf2が活性化することで、アルツハイマー病モデルマウスの認知機能を改善することも明らかになりました。

6-MSITCはパーキンソン病モデルマウスの症状を改善したとの報告や、認知機能障害を人為的に起こしたマウスにおける症状を改善したとの報告もあります。アルツハイマー病治療が必要となる人は、その他の疾患を抱えていることも多いものです。長期間にわたり安全に行うことの出来る薬物治療が重要であり、6-MSITCはその候補となり得るものと思われます。
Nrf2活性化を介した新たなアルツハイマー病治療の構築が期待されます。

 

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執筆

亀田 歩

 

医師・医学博士。医師免許を取得後、病院勤務を経て10年ほど前より医学研究や学生教育も並行して行っております。現在はヨーロッパに研究留学中で、日本との相違点、類似点を日々実感しながら生活中です。医学には日々新たな情報があり、それを学び続けることで今後医師としての診療がより深いものになればと思います。出来るだけわかりやすく、新たな世界を知るワクワク感を共有できれば幸いです。

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