4月7日に発令された緊急事態宣言により政府や地方自治体によって強調されたのが「集」「近」「閉」の3密状態を避けることです。

この3蜜を避ける根拠にあるのが「ソーシャル・ディスタンシング」と呼ばれる戦略です。

日本のニュースなどでは「ソーシャルディスタンス」と報道され、感染拡大を防ぐために社会的距離を保つことを指しますが、海外では同じ意味として「ソーシャル・ディスタンシング」という言葉が使われます。

ソーシャル・ディスタンシングは、ロックダウンやITを駆使した感染者の追跡とともに感染症の拡大防止のために海外でも有効な戦略としてみられています。

一方で経済活動を阻害する要因になるとして、ソーシャル・ディスタンシングは不要であるという声も日本では一部で上がっています。

そこで気になるのがソーシャル・ディスタンシングの効果はどのくらいあるのかということです。

今回の記事ではこの戦略が生まれた背景とともに、ソーシャル・ディスタンシングが本当に効果があるのかについて解説していきます。

 

スペイン風邪戦略にソーシャル・ディスタンシングはすでに存在した

「スペイン風邪」をご存知の方も多いと思います。

20世紀前半に世界で5,000万人もの死者を出したスペイン風邪は、中国からアメリカを経由しヨーロッパへと拡大したといわれています。

スペイン風邪の感染拡大を抑える戦略として、実はその当時にもソーシャル・ディスタンシングは存在していました。日本でもスペイン風邪は流行し今回の新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言と同じように、学校閉鎖などの措置が採られました。日本以外でも各国で様々な対策がとられたといわれています。

しかしソーシャル・ディスタンシングという言葉が、現在のように感染症対策のひとつとして定着したのは最近のことです。

アメリカで採用されたソーシャル・ディスタンシング戦略

スペイン風邪の原因となったインフルエンザウイルスの発見や飛沫感染といった感染経路について判明するのは1930年代に入ってからです。

感染予防策を証拠立てするエビデンスに乏しい中で、アメリカのいくつかの都市で採用されたのがソーシャル・ディスタンシング戦略でした。

この戦略がスペイン風邪の予防に効果的だという証拠として、セントルイスとフィラデルフィア、この2つの都市がよく対比に出されます。

セントルイスでは学校閉鎖や集会などの禁止措置が功を奏したのか、致死率がアメリカの都市の中でも最低を記録しました。一方でフィラデルフィアでは、第一次世界大戦支援のための国債を促進する目的で開かれたパレードが行われたことで密状態が起こり、大量の感染者を出しました。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/033100207/

セントルイスとフィラデルフィアの対策の違いから、感染予防対策としてソーシャル・ディスタンシングが有効だったと推測できたわけです。

このようにアメリカ各都市だけでなく、世界各国でスペイン風邪に対する対策が行われていましたが、その後ようやくインフルエンザウイルスや飛沫(しぶき)の正体が明らかになり、ソーシャル・ディスタンシングの考えが広がっていきました。

 

図1: 米国の都市におけるスペイン風邪の死者数  

※引用: JAMA

<参照>
How some cities ‘flattened the curve’ during the 1918 flu pandemic(日経メディカル)
Nonpharmaceutical Interventions Implemented by US Cities During the 1918-1919 Influenza Pandemic(JAMA)
Pandemic historian: Don’t rush reopening. In 1918, some states ran straight into more death.(USA TODAY)

ソーシャル・ディスタンシングの根拠となったもの

ではソーシャル・ディスタンシングの根拠となったものは何だったのでしょうか。

ポイントはウイルスの飛沫が地面へ落下するまでの距離です。

つまりウイルスを含んだ飛沫の大半は重さにより地面へと落ちるわけですが、飛沫が地面へと落下するまでの距離がソーシャル・ディスタンシングの細かいルールの根拠になっているのです。

<参照>
Physical distancing, face masks, and eye protection for prevention of COVID-19(THE LANCET)

国際連盟保健機関の創設が感染予防策を後押しした

世界保健機関(WHO)の前身である国際連盟保健機関が、第一次世界大戦終了直後の1920年に創設されたことが、ソーシャル・ディスタンシングなどの感染予防策をつくる流れを加速させました。

国際連盟に入らなかったアメリカなどを含めて、世界で協力して感染症の予防など公衆衛生に取り組みました。

当時からソーシャル・ディスタンシングは1~2m間隔をあけるルールになっており、このルールは1940年代に決まったといわれています。

さらに国際連盟保健機関が1948年に世界保健機関(WHO)へと移行してもなお、当時作られた1~2m間隔をあけるソーシャル・ディスタンシングのルールは感染症予防の戦略として残っているのです。

<参照>
「国際連盟保健機関の創設」(『国際政治』)
「国際連盟保健機関から世界保健機関へ 1943-1946年」(『年報政治学』)
READERS’ LETTERS: The two-metre social distancing rule is based on 1930s modelling(THE COURIER)

新型コロナウイルスの感染経路に対する新たな知見とは

今回新型コロナウイルス感染症が世界中で爆発的な流行をみせ、その感染力の高さなどが浮き彫りになっているのは周知の通りです。

そのため新型コロナウイルスの感染経路や予防について、これまでのインフルエンザウイルスとは異なる新たな知見が得られています。

これまでウイルスの感染経路として考えられていたのが、接触感染と飛沫感染でした。

しかし今回の新型コロナウイルスに関しては「飛沫核(空気)感染」の可能性が指摘されています。

ウイルスを含んだ飛沫はしばらくすると乾燥し6分の1の大きさの飛沫核となり、地面に落下せず長時間浮遊します。空気中に浮遊する飛沫核によって感染するというわけです。

天然痘ウイルスやノロウイルスにおいても空気感染する可能性があることは以前から指摘されてきました。

それと同じように新型コロナウイルス感染症でも空気感染する可能性が再考されています。

オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学は2m以上でもウイルスを含んだ飛沫核が空中に残るという研究結果を報告しています。そのためオーストラリアではソーシャル・ディスタンシングに必要な距離として採用される1.5mよりも、実際にはさらに厳しいソーシャルディスタンス戦略が採用されるべきだと主張されているのです。

<参考>

The Journal of Infectious Diseases.16 April 2020

Airborne or Droplet Precautions for Health Workers Treating Coronavirus Disease 2019?

<参照>
『感染症 増補版』井上栄 著
Spatial distancing rules for health workers may be insufficient: review(University of New South Wales)
COVID-19: by how much do social distancing and masks reduce the risk?(University of New South Wales)

ソーシャル・ディスタンシングは感染予防策として有効か?

ではソーシャル・ディスタンシングは実際に感染予報策として効果的なのでしょうか。スペイン風邪では有効とされた戦略ですが、実は新型コロナウイルス感染症ではソーシャル・ディスタンシングが有効かを疑問視する反論があります。

ここでは2つの反論の視点から見ていきましょう。

反論1:設定する距離はどのくらいが適切なのか

ひとつ目の反論はソーシャル・ディスタンシングの距離は現在多く採用されている1~2mでよいのかということです。

なぜなら上述の研究ではウイルスを含む飛沫核が8mまで浮遊することが指摘されているからです。

しかしソーシャル・ディスタンシングを保つ距離は各国のガイドラインにおいて異なります。

たとえばイギリスでは2mの距離を空けることが必要とされていましたが、政府はこれを撤回する動きを見せています。中国やフランス、シンガポールなどの国では1mルールが採用されている背景があるためです。その背景に加えて2mのソーシャル・ディスタンシングを保つことは経済活動を阻害する可能性があることから、イギリス政府はソーシャル・ディスタンシングとして定めた距離を縮めたいという意図も見え隠れしています。

ソーシャル・ディスタンシングに必要な距離については、ジョンズ・ホプキンス大学の研究では1mを境にその効果が有意に現れており、距離が長くなるほどウイルスの感染リスクが低くなるともいわれています。

今後公衆衛生と経済活動との点でどう折り合いをつけていくのかが、距離を設定する際の焦点になっていくといえるでしょう。

<参照>

Lancet.1 JUN 2020

Physical distancing, face masks, and eye protection to prevent person-to-person transmission of SARS-CoV-2 and COVID-19: a systematic review and meta-analysis

<参照>
Coronavirus: Could social distancing of less than two metres work?(BBC)
Social distancing, keeping businesses open and in-work activities during the coronavirus outbreak(Health and Safety Executive)

反論2:ソーシャル・ディスタンシングは本当に効果があるのか

2つ目の反論は、ソーシャル・ディスタンシングが感染予防にそもそも効果があるのかということです。

その反論の例に挙げられるのが日本での感染状況です。

日本では3月末の時点で新型コロナウイルス感染症の蔓延がピークアウト(頂点に達している)していたことから、ソーシャル・ディスタンシングはあまり意味がなかったのではといわれています。

この反論の根拠となっているのが「実効再生産数」です。

「再生産数」とは誰もが免疫をもたない自然な状態で1人の患者によってウイルスを感染させられた人の数を表す指標です。

しかし実際には一部の人がウイルスに対する免疫がすでにあったり、ソーシャル・ディスタンシングやロックダウンが地域で行われていたりするので自然な状態であるとはいえません。

そこで数値の比較で採用されるのが、ある時点での再生産数を示す「実効再生産数」になります。

日本における実効再生産数のピークが緊急事態宣言が出される前の3月27日頃に起きていたことから、2mの距離を空けるソーシャル・ディスタンシングは日本ではそれほど効果がなかったといわれる所以になります。

図2: 日本の実効再生産数の推移

※引用:厚生労働省の資料

<参照>
京都大学 ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授インタビュー3(Tokyo FM)
新型コロナの広がり方:再生産数と「密」という大きな発見(National Geographic)
東洋経済が新型コロナ「実効再生産数」を公開(東洋経済オンライン)

結論:効果の是非は複数の指標による多面的評価が必要

ただしこの実効再生産数は、世界保健機関(WHO)も公表しているようにソーシャル・ディスタンシングやロックダウンなどの戦略を採用するためのひとつの指標に過ぎません。

ソーシャル・ディスタンシングの有効性は実効再生産数に加えて、重症者や死者数などの指標と共に総合的に判断することが必要です。

日本以外でも参考になる例として、イギリスではロックダウンを行うことで実効再生産数が大幅に減少し、ドイツではロックダウン解除後に実効再生産数が上昇する現象が見られました。

これら各国の経過については数理モデルや収集されたデータによっても算出される実効再生産数は異なります。

そのためソーシャル・ディスタンシングの効果の是非については複数の指標による多面的な評価が必要だといえます。

<参照>
Coronavirus: is the R number still useful?(THE CONVERSATION)
Coronavirus: What is the R number and how is it calculated?(BBC)
Social Distancing is Effective at Mitigating COVID-19 Transmission in the United States(Johns Hopkins University)
Coronavirus in Germany: What is the R value and how might it signal a second wave?(Euro News)

まとめ

ソーシャル・ディスタンシングの有効性はさまざまな研究によって支持される側面があるものの、最新の知見によればまだ議論すべき余地があると言わざるをえません。

このことは新型コロナウイルスの感染予防対策のひとつであるソーシャル・ディスタンシング以外の対策の有効性の是非についても当てはまります。

韓国では感染者を追跡し、一般市民にアプリを通じて情報開示をしたことから、第一波の収束が確認されています。

マスクの着用についても効果があるという研究成果が徐々に出てきたこともあり、世界保健機構(WHO)はマスクの着用効果を認める変更をしています。

つまり新型コロナウイルス感染症の予防対策は、ソーシャル・ディスタンシングを含めてその効果がまだ正確に判明していないのが実情なのです。

いずれにせよ新型コロナウイルスを標的としたワクチンや治療薬が今後開発されたとしてもウイルスを根絶できる保証はありません。

ワクチンや治療薬ができるまでは、現在有効と考えられるソーシャルディスタンシングやマスク着用、感染者の追跡などできる限りの対策を実施し、その有効性を検証しながら新型コロナウイルスに感染するリスクを下げることが必要といえるでしょう。

<参照>
Public Disclosure of COVID-19 Cases Is More Effective than Lockdowns(university of california San Diego)

執筆

Writer M

 

群馬県在住。看護師、健康・医療ライター。大学文学部卒業後、看護大学編入を経て看護師・助産師・保健師の資格を取得する。産科・精神科・不妊クリニック・婦人科・訪問看護などで働き15年の臨床経験あり。不妊クリニック勤務時は不妊症に悩む多くの女性の悩みや不妊治療の実情に触れ、女性の健康や不妊・生殖医療に強い関心を持つ。現在は看護業務に携わりながら、主に健康・医療に関するライターとしても活躍している。

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