眠らない動物は見つかっておらず、すべての種の動物は睡眠をとります。睡眠が重要な機能を果たしていることは明らかで、睡眠不足により身体に不調をきたすことは、だれもが経験することです。

しかし、研究者らは何十年にもわたって努力してきたにもかかわらず、なぜ睡眠により身体の機能が回復するか、また逆になぜ睡眠不足で脳機能が損なうかそのメカニズムが分からず、生物学における最大の謎のひとつでした。

睡眠不足は学習能力や、認知テストのパフォーマンスを低下させ、反応時間の延長、さらに病気の発作の原因にもなります。最も極端なケースでは、ネズミやハエは、継続的に睡眠不足にすることで数日から数週間の間に死に、遺伝的な不眠症のヒトでは、数ヶ月から数年以内に認知症や死に至ることが報告されています。

睡眠障害と様々な疾患の関連が指摘されていますが、最新の研究により認知症と睡眠障害の関連を示す論文が次々と発表され注目を集めています。

現在医学でも克服できていないアルツハイマー病

アルツハイマー病は脳が萎縮していく病気で認知症の原因の60〜70%を占めています。認知症は、日常の物忘れから発見されることが多く、緩やかに進行していきます。症状が進行することで、日常生活に支障をきたすほどの記憶障害や知的な行動能力を失います。また不安を抱え抑うつになったり、感情のコントロールが難しくなることで怒りっぽくなったりします。

さらに認知症に伴う徘徊や交通事故は、大きな社会問題になることもあります。

アルツハイマー病は、個人だけでなく周りの家族や介護者にも大きな負担を与え、介護者の多くは精神的なストレスやうつを経験します。まだ有効な治療法は確立されておらず、先進国において、最も金銭的コストが高い疾患のひとつで、社会的に大きな問題になっている疾患です。

厚生労働省研究班の調査によると65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが明らかになっています。その数は2025年には730万人へ増加し、65歳以上の5人に1人が認知症を発症すると推計されています。

アルツハイマー病では、アミロイドβ (ベータ) (Aβ) が蓄積してできる老人斑とタウタンパク質 (タウ) の繊維状の凝集を特徴とする病変がみられます。現在、この2つのタンパク質の異常な蓄積がアルツハイマー病の原因と考えられています。しかし、長い間これらの原因物質がどのように貯まるのか分かっていませんでした。そもそも、脳によるこれら不要な物質を排出システムが分かってきたのは、ここ10年の研究の成果です。

脳のクリーニングシステムであるグリンパティックシステムの発見

人の組織は脳をはじめとする司令を与える組織を中枢組織、それ以外を末梢組織と言います。末梢組織では、身体に不必要になった物質をリンパ管に流し肝臓に運び分解します。これをリンパ系と言います。中枢神経の活動量は高く、一方で脆弱な組織と言われていますが、リンパ系を持っていない脳がどのように老廃物を排泄するか長い間謎でした。

2009年に画期的な発見がされました。人間とマウスの両方で、Aβは覚醒中に上昇し、睡眠中に減少することを研究者が発見しました。また、マウスを睡眠不足にすることでアルツハイマー病患者の脳に見られるような老人斑ができる傾向になることを報告しています。この発見によりAβは絶えず作られて、睡眠時に排出、代謝されることが示唆されました。

<参考>

science:Sep. 24, 2009

A Connection Between Sleep and Alzheimer’s?

 

さらなる研究により、脳の老廃物を取り除くシステムの存在が明らかになってきました。

中枢神経には、神経の伝達を行う神経細胞とグリア細胞と呼ばれる細胞があります。グリア細胞の一種のアストロサイトには、脳のクリーニングを行う重要な機能を担っていることが明らかになってきました。

アストロサイトの突起 (足突起) は脳が活動している時は血管の周りを隙間なく拡がり突起同士がくっついていますが、睡眠時には老廃物を排出するために、その突起を縮めて隙間を作って、そこから老廃物を脳の外に排出させます。この脳における排出システムをグリア細胞と老廃物除去システムのリンパ系をかけ合わせ、グリンパティックシステムと呼ばれるようになりました。このシステムはまさに脳のクリーニングシステムです。脳脊髄液は絶えず循環しており、1日に計算上約34回入れ替わっていると考えられています。

Aβやタウは、覚醒中に神経が働くことで作られ、細胞の外に吐き出されます。脳内に溜まった、これら老廃物は睡眠中にグリンパティックシステムで洗い流されます。

アルツハイマー病と睡眠の関係

老人

睡眠不足や睡眠の質が低い人ほど、アルツハイマー病のリスクが高くなることが知られており、患者の2560%は睡眠機能障害を持っていると報告されています。またいくつかの報告によりAβの蓄積自体が不眠の原因になり、Aβを除去すると睡眠の障害が回復することから睡眠とAβは双方向の関係にあると考えられています。

最近では、Aβだけでは、アルツハイマー病の全容が解明されず、Aβと同じように脳内に蓄積するタウも着目されています。タウに着目した論文でもタウは、Aβと同じように覚醒中に脳に蓄積しグリンパティックシステムにより除去されることが分かり、睡眠の重要性は変わらないことを示しています。つまりグリンパティックシステムを正常に保つことが将来のリスクを減らす重要なファクターになります。グリンパティックシステムの効率を高める方法を見つけることは、臨床的に重要な意味を持つ可能性があります。

<参考>

Science:22 Feb 2019:

Sleep may protect the brain from AD

 

脳のクリーニングシステムの機能を高めるには

脳のクリーニングシステムであるグリンパティックシステムは、覚醒時には機能していませんが、自然睡眠時やある種の麻酔で眠らせることで活性化することが分かりました。

マウスの実験で数種類の麻酔薬を使用したときグリンパティックシステムが最も活性化した組み合わせは、麻酔薬のキシラジンとケタミンの組み合わせでした。

<参考>

Science Advances:27 Feb 2019

Increased glymphatic influx is correlated with high EEG delta power and low heart rate in mice under anesthesia

 

麻酔薬のキシラジンはα2受容体を活性化する効果があり、アドレナリンの作用を抑えます。睡眠から覚醒への移行はアドレナリンレベルの上昇と関連しており、アドレナリンの抑制は睡眠を促進します。ストレスや不安、運動することでアドレナリンが分泌されますので、こられは睡眠を妨げるリスクになります。

<参考>

Sleep Medicine Reviews:April 2012

Noradrenergic modulation of wakefulness/arousal

 

麻酔薬のケタミンは、N-メチル-D-アスパラギン酸 (NMDA) 受容体を阻害する効果があります。興味深いことに、NMDA受容体は外傷性脳損傷との関連が報告されています。

外傷性脳損傷は、頭部に物理的な衝撃が加わり起こる脳損傷で交通事故や転倒などにより頭部にダメージを受けることで起こります。外傷性脳損傷でNMDA受容体が活性化していることが報告されています。

<参考>

nature:03 January 2017

Mechanical stress activates NMDA receptors in the absence of agonists

 

外傷性脳損傷は、ボクシングやアメリカンフットボールなどのスポーツ選手によくみられ、将来的にアルツハイマー病のリスクが高まることが知られています。このようなコンタクトスポーツには、頭部へのダメージにより将来的にリスクがあることも認識しておく必要があります。実際に頭部に外傷を受けた人でAβやタウの蓄積が多くみられることが明らかにされています。

<参考>

Brain : 2019 Oct 1

PET-detectable Tau Pathology Correlates With Long-Term Neuropsychiatric Outcomes in Patients With Traumatic Brain Injury

 

アルツハイマー病を抑制するためにAβの排出を促進する物質の探索も行われています。覚醒を促進するオレキシンは、日中に多く分泌され覚醒の維持に重要な役割を担っています。

オレキシンの働きを阻害する物質を投与し睡眠を促すことで、マウスの脳内のAβを減少させることを明らかにしています。オレキシンを阻害する薬は、現在不眠症改善薬として実際に処方されています。

<参考>

Science :13 Nov 2009

Amyloid-β Dynamics Are Regulated by Orexin and the Sleep-Wake Cycle

 

グリンパティックシステムを高めるために臨床的に応用可能な治療法は今のところ確立していませんが、将来の治療や予防に向けた標的になる十分な証拠が揃ってきています。

日本人の睡眠環境

日本全国に居住する1879歳までの男女に対する調査の結果、約半数の人に不眠症の疑いがあることを報告しています(日本睡眠科学研究所 2019)。では、認知症予防のためには、毎日どれくらいの睡眠をとればいいのでしょうか。

睡眠時間を「6時間以下」「7時間」「8時間以上」の3つのグループに分けて、認知症発症リスクを調べた研究では、必要な睡眠時間には個人差があると考えられますが、7時間の人に比べて6時間以下や8時間以上の人はリスクが高まるという結果が出ています。

グリンパティックシステムはまだ分からないことも多く、実験動物レベルの報告も多いですが、睡眠の重要性は変わらないでしょう。認知症には、今のところ有効な治療法がないため予防が大切です。将来のリスクを考え、不眠症の悩みがある場合は睡眠環境を見直したり、早めに医師に相談してみましょう。

執筆

薬学博士・薬剤師

linus7

 

薬剤師免許取得後、薬学博士を修了し大学で研究および教育業務に勤めました。その後、薬剤師として臨床現場で従事してきました。2人の子の父で子育てにも奮闘中です。健康や薬、子育て、教育などに興味を持っており、特にがんや代謝、感染症などの分野を得意としています。現在社会では、一見問題ないように我々は生活を送れていますが、実は多くの解決すべき問題を抱えています。より良い社会を作るためには、社会全体で知識を共有することだと思っております。研究者と医療従事者の両面から最新の知見を分かりやすくお伝えしたいと思っております。

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