現在の日本人の死因の第一位はよく知られているようにがん (悪性新生物) であり人類がいまだ完全に克服できていない疾患の一つです。

これまでにさまざまながんの治療薬が開発されましたが、がん細胞の耐性化 (薬に効かなくなる) や副作用の問題に悩まされてきました。それだけでなくがんの新薬は開発費がかさみ、製剤コストが高額な薬も多く、多額な治療費がかかることがあります。

がん細胞でみられる「ワールブルグ効果」とは

がん細胞と正常な細胞の違いを知ることは、がん化のメカニズムを理解したり、がんの診断法や治療法の開発に重要なことです。1920年代にドイツの生理学者であるオットー・ワールブルグ博士は、がん細胞が正常細胞とは異なるエネルギー代謝を行っていること発見しました。

正常細胞は、糖を解糖系という代謝系で分解した後に酸素がある条件ではミトコンドリア (細胞内にあり主にエネルギーを産み出す細胞小器官) でさらに代謝しエネルギー (ATP) を効率よく産生します。

ワールブルグ博士は、がん細胞は酸素が十分あるにも関わらず、ミトコンドリアの機能が低下していて主に解糖系でエネルギーを産生していることを発見しました。

この効果は「ワールブルグ効果」と呼ばれて、がんの特徴の一つとして知られています。がん細胞は、非常に活発に増殖する一方でエネルギーの大半を生産するミトコンドリアを使わないことは長い間、不明でした。

現在でもワールブルグ効果の意義が完全に解明されたわけではありませんが、糖をミトコンドリアで二酸化炭素まで代謝せずに自身の細胞の材料を作り出すのに用いたり、ミトコンドリアから発せられる活性酸素 (細胞にダメージを与える) を抑制し細胞を守るためなどの説があります。

がん細胞は解糖系によるエネルギー産生に頼っているため多くのがん細胞は糖を積極的に取り込みます。この違いはがん検診に用いられており、PET-CTによるがんの診断では、標識された糖 (グルコース化合物) が主にがん細胞に集まる特性を利用しています。

ケトジェニックダイエットはがん治療の補助療法として注目されている

これらの事実から食事中の糖分を抑え必要なカロリーを脂肪で補い、十分な量のタンパク質を含む食事療法が、がん治療の補助療法として提案されています。このような食事療法はケトジェニックダイエットなどの名称で呼ばれています。最近では、ケトジェニックダイエットはダイエット法の一種として有名ですが、古くはてんかんを抑えるための食事療法として開発されました。

通常の食事では炭水化物から得られる糖からエネルギーを作りますが、ケトジェニックダイエットを続けることで、糖の供給が少なくなり肝臓で脂肪からケトン体が作られます。正常な細胞はケトン体を糖の代わりエネルギーとして活用できるため、このような食事の変化に適応できます。

一方で、多くの糖の供給を必要とするがん細胞は糖分が枯渇して飢餓状態になります。いくつかのがん細胞はケトン体をうまく代謝でないことがありエネルギーがうまく作り出せなくなります。加えてケトン体自体にも抗がん作用があることが報告されています。さらに糖の供給が下がることで血糖値が下がり、がん細胞の増殖に重要な因子であるインスリンやインスリン様成長因子のレベルも低下することでがんの増殖を抑えることができると考えられています。

数多くの前臨床研究でケトジェニックダイエットの抗腫瘍効果を示す証拠が報告されてきています。さらに化学療法の効果を高める可能性も分かってきています。しかし、注意点として自己判断で行わず、必ず医師指導のもとで行う必要があります。身体の状態やある種のがんによっては適さないこともあります。特にがん悪液質 (症状の進行により健康全般が損なわれた状態) の患者では体への負担が大きく禁忌です。また治療に最適化されたケトジェニックダイエットに従って行うこと重要性です。

これまでのところすべてのがんに効果があるわけではなく、ある種の腫瘍 (特に膠芽腫) では概ね有効な結果が出ており、一方で全く効果を示さないがんがあることも報告されています。まだケトジェニックダイエットをがんの食事療法に用いた試験は小規模な報告がほとんどであり、有用性を示すにはさらに大規模な臨床試験が必要です。

<参考>

Aging (Albany NY). 2018 Feb

Ketogenic diet in cancer therapy

がんの代謝に着目した新しい治療法

このようながんの特徴である糖代謝に着目した薬剤の開発も進められています。糖分の取り込みを抑える薬剤や解糖系を阻害するいくつかの薬の治験が進行中です。これらの薬を既存の薬と組み合わせたりすることで相乗的に効果が発揮されることも期待されています。

<参考>

Pharmacological Research ,December 2019

Targeting glucose metabolism to suppress cancer progression: prospective of anti-glycolytic cancer therapy

また糖尿病の薬のメトホルミンが、マウスに形成させたある種の腫瘍の成長を抑制することが報告されています。メトホルミンは幅広い作用点を持つ糖尿病の薬です。

メトホルミンはがん細胞の糖の利用を制限することで、腫瘍の成長を抑える効果があると考えられています。今日ではメトホルミンを抗がん剤の補助薬として、いろいろな抗腫瘍作用を持つ薬と組み合わせて用いる臨床試験が進行しています。

さらに統計学的な解析によりメトホルミンを長期間服用した患者は、それ以外の薬剤を服用した患者に比べ、がん罹患率、がん死亡率が有意に低いことも分かっています。

<参考>

JOURNAL OF CANCER,2017 Jul 2

Metformin Inhibits Tumorigenesis and Tumor Growth of Breast Cancer Cells by Upregulating miR-200c but Downregulating AKT2 Expression

マンノースは、がんの画期的な治療になるかも?

2018年に糖の一種のマンノースが、がん細胞の増殖を劇的に抑制する興味深い研究成果が報告されました。がん細胞ではグルコールの取り込みが増加するため他の種類の糖が、がん細胞の増殖に影響を与えるか検証されました。

実験では、グルコースなどいくつかの糖を用いて比較した結果、マンノースを添加するといくつかの種類のがん細胞で増殖が抑えられることが分かりました。マンノースは天然に存在する糖の一種でグルコースと同じ単糖に分類されます。マンノースは、がん細胞のグルコースの取り込みを抑制するわけではなくグルコースの代謝を邪魔することで、がん細胞がグルコースからエネルギーを産み出したり、細胞の部品を作り出すことを抑えることが分かりました。

マウスを用いて腫瘍形成に与える影響を検討したところ、マンノース入の水を給水 (20%のマンノース) させると腫瘍形成が阻害され、さらに抗がん剤を併用すると抗がん剤の腫瘍形成を効果が増強し、さらにマウスの寿命を伸ばすことが分かりました。つまりマンノースは既存の治療効果を高める可能性があることも明らかにしました。さらに重要なこととして、研究チームはマウスにマンノースを給水させても解析した範囲ではマウスの健康に悪影響を与えている様子はないことも確認しています。

この研究報告を行った研究チームの一人のライアン教授は、マンノースが人間にも同様にがんを防ぐことができると主張するのはまだ早いと考えています。

マンノースは私たちが日常的に口にすることのある糖の一つです。食品からマンノースを多く含む食品を摂ることでがんから身体を守れるのではないかと思うかもしれませんが、食事から摂れる量のマンノースはこの研究で使われたマンノースと比較してはるかに少ないです。また、これまでのデータではマウスでのみ行われた試験であり人で効果があるか、また高い濃度のマンノースを長期間摂ることの影響などまだ検討すべき課題がありますとしています。

多くのがんの研究や治療でも言えることですが、マンノースはすべてのがん細胞に効果があるわけではありません。つまりがんはそれぞれ個性的でその特性に見合った治療戦略が必要です。

研究チームはマンノースによる治療が効果的ながん細胞も明らかにしており、ホスホマンノースイソメラーゼ (PMI) というマンノースを解糖系に導入する酵素が少ないがん細胞でより効果的であることを明らかにしました。つまりがんの中にはマンノースを栄養源にすることが難しい種類のがんでより効果が高いことを示しています。いくつかのがんの種類を調べたところ大腸がんは特にPMIが少ない傾向にあり、マンノースに対する感受性が他の腫瘍タイプより高い可能性が示唆されています。大腸がんマウスモデルにマンノースを投与すると、腫瘍の発生数が有意に減ることも示しています。よって実際にこの治療を行う上でPMIがどの程度発現しているか調べることが重要です。

この研究はまだ初期の研究段階にあり、患者に対して有用な治療法につなげるには、まだまだ多くの研究が必要です。しかし、現在の知見に基づいて、将来的には今開発されているような高額な抗がん剤よりもマンノースという安価でおそらく安全な物質でがんの成長を遅らせたり、化学療法 (抗がん剤治療) の効果を高めることができる可能性があることは確かです。

<参考>

Nature Publishing Group,21-Nov-2018

Mannose impairs tumour growth and enhances chemotherapy

以下のURLはライアン教授の研究プロジェクトです。上記の研究内容は世界的に評価され権威のある科学雑誌であるNatureに掲載されました。ケトジェニックダイエットによるがんの補助療法の開発も同様ですが、薬ではなく天然の糖を用いた治療法開発のため企業からの資金提供が難しいようで寄付を募集しております。多数の患者を集めて治療法の有効性や安全性を解析するために多額の資金を必要としています。

Could a natural dietary component help improve the effects of common chemotherapy drugs?

執筆

薬学博士・薬剤師

linus7

 

薬剤師免許取得後、薬学博士を修了し大学で研究および教育業務に勤めました。その後、薬剤師として臨床現場で従事してきました。2人の子の父で子育てにも奮闘中です。健康や薬、子育て、教育などに興味を持っており、特にがんや代謝、感染症などの分野を得意としています。現在社会では、一見問題ないように我々は生活を送れていますが、実は多くの解決すべき問題を抱えています。より良い社会を作るためには、社会全体で知識を共有することだと思っております。研究者と医療従事者の両面から最新の知見を分かりやすくお伝えしたいと思っております。

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