新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)によるアウトブレイク(感染爆発)が起きて1年に満たないことや、パンデミックによる感染拡大や経済停滞に対する不安などから、信ぴょう性の疑わしい情報がWebメディアを中心に流れています。

そのひとつがBCG仮説で、乳幼児期に接種するBCGには新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する予防効果があるというものです。疫学や公衆衛生学の専門家ならいざ知らず、専門外の人が統計データをもとに同仮説について言及するため、余計に混乱してしまいそうな状況です。

そこで、BCG仮説の概説から始め、現在この仮説に関してどこまで判明しているのかについて解説していきます。

BCGと感染症

BCG(Bacillus Calmette-Guerin)は、ワクチン開発者の名前に因んで名づけられたワクチンで、結核に対する予防効果があります。結核は新型コロナウイルス感染症同様に、ウイルスや細菌、原生生物といった病原体が体内に侵入することで症状が現れる「感染症」のひとつです。結核の場合、結核菌が体内に入ることで発生します。結核は世界最大規模の感染症であり、日本でも約18,000人の患者が毎年発生するなど、決して過去の病気ではありません。米国と比べても患者数が多く、蔓延は中規模だといえます。

<参照>
結核について(ストップ結核パートナーシップ日本)
結核(IMICライブラリ)
結核とBCGワクチンに関するQ&A(厚生労働省)

結核のワクチンであるBCGの歴史は古く、約100年前にフランスのパスツール研究所で開発されました。牛型結核菌の毒性を弱めた生ワクチンであり、世界各地に分与されました。

日本で接種されるTokyo 172 strain(日本株)もまた分与された菌をもとに、牛の胆汁や馬鈴薯を用いオリジナルの製法に準拠して製造されています。生菌数の低下や在庫数量の減少から世界保健機関(WHO)は基準を満たすワクチンを国際参照試薬として認定し、日本株のほかにもロシア株やデンマーク株、ブラジル株が認定されています。国際参照試薬を認定するプロセスの中で、国際共同研究により各株の評価が行われ、日本株は用量当たりの生菌数が多いことが判明しています。

 

国別のBCGの接種情報↓

国別のBCG接種情報

画像引用元:https://journals.plos.org/plosmedicine/article?id=10.1371/journal.pmed.1001012

 

<参照>
BCGワクチンの国際参照品制定とWHO基準改定について(結核研究所)
結核ワクチンBCG─日本の貢献(日本結核・非結核性抗酸菌症学会)

BCGが注目された理由

結核菌に対する予防効果のあるBCGが、大きさや構造がまったく異なる新型コロナウイルスが引き起こす感染症対策として突然注目され始めました。オーストラリアのマードック・チルドレンズ研究所が新型コロナウイルス感染症に対する治験を実施すると3月末に発表したのがきっかけです。新型コロナウイルスに似たウイルスの感染者にBCGを接種するとウイルス量が減少し兆候が改善されたため、医療従事者に対する臨床実験を同研究所が開始したといいます。

BCGが本来もつ結核に対する予防以外の効果を指摘する研究はこれまでも発表されています。マードック・チルドレンズ研究所もまたかつて、BCGのもつ副次的効果を調査する臨床試験を実施しています。新型コロナウイルスと同じくRNAウイルスに分類されるインフルエンザウイルスに対しても、BCG接種によりインフルエンザワクチンの免疫原性(抗体の産生を誘導する特性)が向上するという論文が、オランダの研究者らによって2015年に提出されています。

 

<参照>
BCG vaccine trial to protect Australian healthcare workers starts, enabled by major philanthropic backing(Murdoch Children’s Research Institute)
BCG vaccination to decrease childhood infection and allergies(Murdoch Children’s Research Institute)
新型コロナウイルスとBCG(東北大学大隅典子教授のブログ)
An Old TB Vaccine Finds New Life in Coronavirus Trials(The Scientist)
BCGはなぜウイルス感染予防効果があるのか(AASJ)

 

 

疫学調査からも新型コロナウイルス感染症とBCG接種との相関を示す複数の研究が、生命医学分野のプレプリントサーバーであるmedRxivにアップロードされています。そのひとつが米国ジョンズ・ホプキンス大学による研究。年齢やGDPなどを補正して新型コロナウイルス感染症による致死率についてBCG接種を義務づける国とそうでない国とで調査すると、約5.8倍の差が生じることが判明しました。

人間の集団に対し病気の広がりや原因を明らかにし、予防や治療の方法を探るのが疫学調査です。こうした疫学調査の結果について注意が必要なのは、統計的な相関関係が示されているからといって、因果関係があるとは主張できない点です。BCGの接種により新型コロナウイルスの感染や致死に及ぶような重症化が防げるとは主張できません。別の因子(交絡因子)による影響のために、2つの事柄のあいだに直接関係があるかのように見える可能性も捨てきれないのです。

<参照>
Confounding: What it is and how to deal with it(Kidney International)
疫学研究と実践(東京大学大学院医学系研究科の講義資料)

 

 

BCG仮説同様に、新型コロナウイルス感染症との関連を疑われている事例があります。高血圧と新型コロナウイルス感染症との相関関係が中国の研究者によって報告されています。新型コロナウイルスは、ウイルス内のスパイクタンパク質がヒト細胞のもつACE2受容体と結合することで体内へと侵入し感染症を引き起こします。動物実験レベルでは降下薬がACE2レベルを上げるという報告があり、高血圧症患者に投与される降下薬と新型コロナウイルス感染症との関連が疑われました。

しかし降下薬はヒト血清中のACE2受容体のレベルを上げないという論文がmedRxivにアップロードされています。

 

<参照>
新型コロナにまつわるBCG、降圧薬、イブプロフェンのその後(感染症専門医・忽那賢志氏)
ACE阻害薬やARBはCOVID-19患者に有害なのか?(日経メディカル)

錯そうする情報

新型コロナウイルス感染症については不明な点が多いにもかかわらず、情報が錯そうする要因となっているのが、プレプリントサーバーの存在です。通常ジャーナルに投稿された論文は、別の研究者によって査読され、採択や修正、却下等の判断が下されます。一方、プレプリントサーバーには査読前の論文が多数アップロードされています。プレプリントサーバーには早く最新の論文がチェックできるといったメリットがあります。とりわけ新型コロナウイルス感染症のように対策が喫緊の課題となる場合には、オープンにアクセス可能なプレプリントサーバーは情報共有に有効活用されます。その一方で、査読されていないため論文の品質が担保できないという問題が挙げられます。科学誌のNatureによると新型コロナウイルス感染症との関連を示した論文がmedRxivには約1,800件もアップロードされているといいます。


引用:Nature

<参照>
Between fast science and fake news: Preprint servers are political(LSE Impact Blog)
How swamped preprint servers are blocking bad coronavirus research(Nature)

 

BCGが新型コロナウイルス感染症にどんな効果をもつのかについても研究者ごとに考えが異なります。たとえばイスラエルのテルアビブ大学はBCGによる新型コロナウイルス感染の予防効果はないという研究を報告しています。イスラエルでは1955年から1982年までのあいだ、新生児に対しBCGを接種する政策を採用し、1982年以降は移民に対してのみBCG接種を行うと変更されました。この点に目をつけ、政策の変更前後3年で感染者を調査した結果、有意な差は発見されませんでした。この研究では、新型コロナウイルスへの感染を予防するかどうかが検証の対象になっています。

これらの研究のもとになる統計調査も現状では不確実な状況で、とくに異なる国で感染者数や死者数を比較する困難が指摘されています。最近では、新型コロナウイルスの感染にもかかわらず別の死因で診断されたケースがロシアで確認されています。

<参考>
Russian Authorities Raise April’s Coronavirus Death Toll Amid Criticism(Wall Street Journal)
Coronavirus: Why are international comparisons difficult?(BBC)

BCG仮説の可否は?

BCG仮説や現状の研究状況について解説していきました。BCGの接種による新型コロナウイルス感染症への効果はまだまだ検証段階であるというのが実情です。プレプリントサーバーに掲載された論文はほかの研究者により十分に検証されていない点に留意すべきです

新型コロナウイルス感染症によるパンデミック前後で、論文査読にかかる時間が4ヶ月から半分の2ヶ月に短縮されるなど、信頼できる情報を知りたい我々にとって朗報かもません。

一方で臨床実験については時間がかかる見通しです。先述のマードック・チルドレンズ研究所は実験結果が出るまでに半年かかると述べています。いずれにせよBCG仮説の可否を現段階で判断できるほど材料が揃っておらず、今後の進展が待たれます。

BCGの本来の役割は乳幼児期の子供から結核の感染を予防することです。結核は世界で最大規模の感染症で、日本でも中規模の蔓延が続いています。。しかし今回の新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより日本でBCGが不足していることが報道されました。本来必要とされる人にワクチンが行き渡らないのであれば本末転倒だといえるでしょう。

<参照>
Japan seeing TB vaccine shortage after reports on possible effects against COVID-19(毎日新聞)

執筆

Misato Kadono

 

フリーライター。国立大学を卒業後に留学。英国大学院を修了後、ライターの道に進む。宇宙科学や生命科学、計算機科学など幅広い科学記事執筆に携わる。 世界中の論文がオープンアクセス化し、最新の研究動向を掴みやすくなった昨今。皆様にわかりやすく情報を提供できればと思っています。 東京都在住。

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