今年度から、新しく関わり始めた研究プロジェクトがあります。

働く人の孤独・寂しさをテーマにした研究です。

この研究に関わり始めてからずっと、頭のどこかで孤独・寂しさのセンサーをONにして、一見違うテーマに見える研究知見や、日々体験するさまざまなことと照らし合わせながら、孤独・寂しさのことを考え続けています。

 

皆さんは、「孤独」や「寂しさ」と聞くと、どんなことが頭に浮かんできますか?

「自分には関係がなさそう」、「あまりピンとこない」という人もいるかもしれません。

けれど、考えてみれば、私たち人間は生まれてくるときも、この世を去るときも、ひとりです。

「寂しい」というのは、特別なようで、私たちの心の底にいつも流れている感情なのかもしれません。

それが顔を出しているか出していないかはあるにせよ。

 

「寂しい」について考え続ける中で、ふとひとつ気づいたことがあります。

孤独や寂しさが私たちを苦しくさせるのではなく、私たちが、孤独や寂しさに貼っているレッテルが私たちを苦しくさせているのではないか、と。

頭の中に、皆さんが「孤独・寂しさ」と聞いて浮かぶ言葉やフレーズを思い浮かべてみてください。

 

「ひとりでいるのは、みじめ」

「ひとりで食事をとるなんて、恥ずかしい」

「孤独なのは、誰からも好かれていないからだ」

「連絡を取り合う友達がいない人は、かわいそう」

「寂しいのは悪いこと」

 

私たちの多くが、孤独やひとりでいること、寂しい気持ちをもつことに対して、何かしらネガティブなイメージを持っているのではないでしょうか。

だから、話の輪に入れなかったとき、ひとりでランチに行かなければいけなくなったとき、どのグループにも入れなかったとき、結果的にひとりになったときに、より一層、孤独を苦しく感じてしまうのです。

 

けれど、私たちがひとりでいること、孤独や寂しさについて考えていること、持っているネガティブなイメージは、本当にそうでしょうか?

 

どうして私たちはひとりではいけないのでしょうか。

ひとりでランチをしていたら、みじめなのでしょうか。

どうして友達がたくさんいないといけないのでしょう。

ここで少し思い出してみてほしいことがあります。

ひとりになったときに、ほっとした、という経験はありませんか。

無理に話を合わせたり、場のペースに合わせすぎていたあと、自分ひとりでいられる空間、自分のペースでいられる場所に戻ってくると、ほっと一息つくことができます。

 

「ひとりでいてもいい」

 

こう口に出してみると、どうでしょうか。

ひとりでいても、何も問題はありません。

ひとりでいることは、少しも悪いことではありません。

恥ずかしいことでもありません。

みじめなことでもありません。

ひとりでいることは、心地よいことでもあるのです。

 

私たちは、ひとりでいることが苦しいのではないのかもしれません。

「ひとりはみじめだ」と考えるから、苦しくなるのかもしれません。

 

わたしは、最初は、「寂しい」という感情は、私たちが人とつながるための感情なのだととらえていました。

けれど、こうして孤独や寂しさについて考えてみて、寂しさというのは、私たちが自分と向き合う時間を過ごすときに感じる感情なのかもしれないと考えるようになりました。

誰かに依存したり、ひとりよがりになったりするのではなく、自分と向き合って、自分の足で立つことができるようになっていくために大事な寂しいという時間。

その先に、真に健やかな「つながり」があるような気がするのです。

執筆

博士(心理学),臨床心理士,公認心理師

関屋 裕希(せきや ゆき)

 

1985年福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、筑波大学大学院人間総合科学研究科にて博士課程を修了。東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野に就職し、研究員として、労働者から小さい子をもつ母親、ベトナムの看護師まで、幅広い対象に合わせて、ストレスマネジメントプログラムの開発と効果検討研究に携わる。 現在は「デザイン×心理学」など、心理学の可能性を模索中。ここ数年の取組みの中心は、「ネガティブ感情を味方につける」、これから数年は「自分や他者を責める以外の方法でモチベートする」に取り組みたいと考えている。 中小企業から大手企業、自治体、学会でのシンポジウムなど、これまでの講演・研修、コンサルティングの実績は、10,000名以上。著書に『感情の問題地図』(技術評論社)など。

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