体内に存在する物質や遺伝子の働きは、それらが少なくなってしまった状態(欠乏状態)や、なくなってしまった状態(欠損状態)から明らかになります。

欠乏症の患者さんの症状から物質のはたらきを学んできましたし、遺伝子のはたらきを調べるために遺伝子の働きを抑えた細胞や動物で実験する手法がよくとられます。

 

今回はNAD(ニコチンアミド・アデノシンジヌクレオチド)が欠乏している患者さんにおける研究データをご紹介します。

 

NADとは?

ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド (英: nicotinamide adenine dinucleotide) とは、全ての真核生物と多くの古細菌、真正細菌で用いられる電子伝達体である。

wikipediaより

わたしたち生物は常にエネルギーを使いながら生きています。目に見える運動をするためだけではなく、もっと小さな生命活動 ―例えば細胞の中でタンパク質が作られたり、細胞の内外で物質のやり取りをしたり、細胞が増えたりといった活動にもエネルギーが必要です。わたしたちは食べ物を消化してエネルギーを得ていますが、そのエネルギーを得る過程に必須であるのがNADです。

身体の中で出来たある種のタンパク質を修飾することでタンパク質の機能を変化させて、細胞の機能を調節する働きもあることがわかっています。。

このように身体が生きてうえで必須のNADですが、近年特に注目すべき点があります。

 

健康や長寿と関わる様々な生命現象との関わりが報告

NADは加齢とともに減少することが知られています。

NADはサーチュインという遺伝子がはたらく際に必要です。

<参考>

Nature.17 February 2000

Transcriptional silencing and longevity protein Sir2 is an NAD-dependent histone deacetylase

 

サーチュインは身体の老化を制御する中心であり、炎症、日内時計の調節、細胞の成長などさまざまな生命現象を調節しています。

老化において低下したNAD量やサーチュインの活性を回復することは,多くの老化関連疾患に有効であることが細胞実験や動物実験によって示されています。

 

新型コロナウイルス感染症を含めたウイルス疾患に効果が期待

細胞や動物を使った実験では、NADは免疫系の活動を調節することが示されています。

現在、世界中で猛威をふるう新型コロナウイルス感染症は高齢であるほどリスクが高いことが知られています。NADを増加させることで、高齢者の免疫力を高め、ウイルス感染に強くなったり、ワクチンを投与した際に効果を高めたりすることが期待され、現在臨床試験が行われています。

<参考>

clinicaltrials.gov June 1, 2020

Effects of Nicotinamide Riboside on the Clinical Outcome of Covid-19 in the Elderly (NR-COVID19)

 

非常に注目されるNADですが、細胞実験や動物実験によるデータは多々あるものの、ヒトにおけるデータはあまり存在しません。

 

今回ご紹介するのは2020年7月にフィンランドより報告されたヒトにおけるNAD増強効果についての研究論文3です。

全身の筋力が低下してしまう病気であるミトコンドリア筋症の患者さんの筋肉内でNADを増加させると、患者さんの筋力が改善したことが報告されています。

 

ミトコンドリア筋症とは

ミトコンドリアは非常に特殊な細胞内の構造で、好気性細菌というエネルギーを作り出すことのできる細菌が細胞の中に寄生し進化したものと考えられています。

<参考>

ScienceDirect,1967

On the origin of mitosing cells

ミトコンドリアには独自の遺伝子があります。私たちの体の細胞にはこのミトコンドリアが多数存在し、エネルギーを作り出しています。上で述べたようにNADはエネルギー産生反応になくてはならないもので、ミトコンドリアの活性はNADを調節する鍵となります。

ミトコンドリア筋症の患者さんでは多くの場合ミトコンドリア遺伝子に変化がみとめられ、進行性の目の筋力の低下やその他全身の筋力の低下がおこって疲れやすくなりますが、これらに対する効果的な治療はありません。

論文の筆者らは、ミトコンドリア筋症の患者さんでは、NADの量が減少しているのではないかと考えました。

 

研究の方法

今回の研究では、成人になって発症するタイプのミトコンドリア筋症の患者さん5名と健康な成人10名にNADを増強する薬剤を投与することにしました。

NADの増強方法として、ビタミンB3の一種であるナイアシンが選択されました。ナイアシンには50年以上前から高コレステロール血症の治療に使われている実績があります。

ナイアシンは徐々に増やして750㎎/日もしくは1000㎎/日を4か月間、ミトコンドリア筋症の患者さんにはさらに長く10か月間内服してもらいました。これは、高コレステロールの治療に使われる量と同様で、日本でも750㎎/日が使われています。

研究の結果

患者の血液中と筋肉内のNADが大きく増加

ナイアシン投与前後に外側広筋(太ももの外側にある筋肉)を針で少量とって調べたところ、ミトコンドリア筋症の患者さんの筋肉中のNADはもともと健常者の半分程度しかありませんでしたが、内服開始後4か月で1.3倍に、10か月で2.3倍にまで増加しました。血液中でも同様にNADは健常者の半分程度でしたが、内服により10か月後には8.2倍に増加しました。

一方、健常者では血液中のNADは4か月後に5.7倍に増加しましたが、筋肉内のNADには変化がみられませんでした。

 

患者の内臓脂肪が減少

内蔵脂肪はメタボリックシンドロームの原因であり、糖尿病、脂質異常症、高血圧とともに死の四重奏とも言われます。

ミトコンドリア筋症の患者さんではナイアシンを内服することにより、内臓脂肪が減少しました(肝臓の脂肪は50%、内臓周りの脂肪は25%も減少しました)。

 

患者、健常者ともに筋力がup。

ミトコンドリア筋症の患者さんにおいて、筋力が大きく改善しました。なんと腹筋は10倍、背筋は2倍、上腕の筋肉は2.5倍にまで筋力が改善しました。

健常者でも、肩と太腿の筋力が1.1-1.2倍程、有意にupしました。

 

筋肉中のミトコンドリアの量が増加

ミトコンドリア筋症の患者さん、健常者ともに筋肉内のミトコンドリアの数が増え、より多くのエネルギーを産生できるようになったことがわかりました。

 

患者の筋肉中mTORC1シグナルが抑制

ナイアシン投与による筋肉の変化の詳細なメカニズムを調べるため、筋肉内の遺伝子の変化を調べたところ、mTORC1というシグナルが抑制されていることがわかりました。mTORC1はがん、代謝疾患、神経変性疾患など多くの疾患とのかかわりが指摘されている

シグナルです。mTORC1シグナルを抑制すると酵母やハエでは寿命が延びることがわかっており、マウスでも寿命との関連が示唆されています。

 

まとめ

ミトコンドリアの遺伝子異常で起こる病気の主な原因がNAD欠乏によるものであること、その症状がナイアシンの投与で改善することが明らかになりました。患者さんでは内臓脂肪が減少する効果もみられました。

この研究でも示されるように、欠乏状態で体内のNADを増やすことは臨床症状を改善させるのに非常に有効です。

 

健常人においては、筋肉内のNADの量は変わらなかったにも関わらず、筋力の増強効果が認められました。筋肉の中のミトコンドリア数が増え、よりエネルギーを作り出せるようになったこともわかりました。より高度なパフォーマンスが必要なアスリートなどでも効果が期待できるかもしれません。

筋力の低下が時として致命的にもなり得る高齢者への効果も期待されます。

 

加齢状態でNADを増やすとどのような効果がみられるのか、どのような方法で増やすのが最適であるのか、新型コロナウイルス感染症予防にも効果を発揮するのかなど、興味深い点が多くあります。

執筆

亀田 歩

 

医師・医学博士。医師免許を取得後、病院勤務を経て10年ほど前より医学研究や学生教育も並行して行っております。現在はヨーロッパに研究留学中で、日本との相違点、類似点を日々実感しながら生活中です。医学には日々新たな情報があり、それを学び続けることで今後医師としての診療がより深いものになればと思います。出来るだけわかりやすく、新たな世界を知るワクワク感を共有できれば幸いです。

この記事をシェア

編集部おすすめ記事

人気記事ランキング