「創造的絶望」

 

この言葉に、どんな印象をもちますか?

「創造」と「絶望」。

相反するような言葉が2つ並んでいて、私は初めて聞いたとき、得も言われぬ魅力を感じて、少しワクワクしました。

実際には、Acceptance and Commitment Therapy(ACT)という心理療法で出てくる言葉で、ACTを進める初期において、必要かつ重要な段階とされているものです。

私はよく、「底なし沼」のたとえを使って説明します。

底なし沼に落ちてしまったら、私たちはどうするでしょう?

私だったら、恐怖でいっぱいになって、そこからなんとか抜け出そうと、必死に手足を動かしてもがくと思います。

しかし、どうにか抜け出そうともがけばもがくほど……身体はどんどん沈み込んでいき、ますます底なし沼に深くはまっていってしまいます。

私たちは、普段の生活の中でも、同じ対処方略を使っています。

恐怖や、不安、恥ずかしさ、怒りを感じたとき、それらを「どうにかしよう」とします。

どう対処すればいいかあれこれ考えたり、気を紛らわせるためにお酒を飲んだり買い物をしたり、「なかったこと」にしようとしたり、いろいろな手を使います。

 

創造的絶望は、これらの「どうにかしよう」とするやり方が役に立たないということを思い知る、という段階です。

これまで自分が使っていた、慣れ親しんだやり方が役に立たない、意味がないと思い知ること。

まさに、絶望的な瞬間です。

けれど、この段階をさらっと流さずに、徹底的に絶望することで、私たちは次に進むための「変わる決意」をすることができます。

ACTでは、「創造的絶望」の段階を経て、恐怖や不安、怒りが生じたとき、「どうにかしよう」と対処することに意味がないと思い知り、恐怖や不安、怒りと同時に生じる逃げ出したくなるような嫌な感覚も含めて、「ただ、共にある」こと(アクセプタンス)を実践していきます。

 

この「創造的絶望」は、ACTという心理療法の文脈で使われている用語ですが、人生のあらゆる場面で私たちを励ましてくれる言葉かもしれません。

仕事でも、家族や友人との人間関係でも、社会との関わりの中でも、これまで「良い」と思っていた方法や、「正しい」と思っていたやり方が役に立たない、意味がない、もう使えないと思い知ること。

それは、私たちにとって、とても辛い、まさに絶望の瞬間です。

けれど、それは未来に進むために必要な段階でもあるのです。

「新しいやり方を身につけよう」と自分が変わる決意をする段階。

絶望の瞬間にこそ、未来への扉が開いているといえるのかもしれません。

 

【参考文献】

Hayes, S. C., Bissett, R. T., Korn, Z., Zettle, R. D., Rosenfarb, I. S., Cooper, L. D, Grundt, A. M. (1999) . The Impact of Acceptance Versus Control Rationales on Pain Tolerance.The Psychological Record, 49, 3347.

執筆

博士(心理学),臨床心理士,公認心理師

関屋 裕希(せきや ゆき)

 

1985年福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、筑波大学大学院人間総合科学研究科にて博士課程を修了。東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野に就職し、研究員として、労働者から小さい子をもつ母親、ベトナムの看護師まで、幅広い対象に合わせて、ストレスマネジメントプログラムの開発と効果検討研究に携わる。 現在は「デザイン×心理学」など、心理学の可能性を模索中。ここ数年の取組みの中心は、「ネガティブ感情を味方につける」、これから数年は「自分や他者を責める以外の方法でモチベートする」に取り組みたいと考えている。 中小企業から大手企業、自治体、学会でのシンポジウムなど、これまでの講演・研修、コンサルティングの実績は、10,000名以上。著書に『感情の問題地図』(技術評論社)など。

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