自己紹介のときに、こんな表現をすることがあります。
「私はメンタルヘルスに関わる仕事をしています。バックグラウンドは心理学です。」
聞く人によって、心理学という学問の印象はさまざまかもしれません。
大学生向けに行われた心理学のイメージについての自由記述調査によると、「カウンセリング」、「精神科」、「犯罪捜査」、「心がわかる」、「面白そう」といった回答が挙がっていました。
これらのイメージは的を得ているなと思いつつ、今回は、20年ほど前に心理学の世界で起きたターニングポイントについて紹介したいと思います。
2004年のセリグマン博士のTED トーク(“The new era of positive psychology”)によると、こうです。
「60年以上にわたり、心理学は病理モデルを基本としてきました」
「普通の人生をさらによくすることを忘れていました」
セリグマン博士の言うとおり、それまでの心理学は、不安やうつ、ストレス、攻撃性や劣等感などの人間の心のもつ弱点や問題点に注目して、そのメカニズムを解明して、問題を解決することを目指してきました。
恐らく、自由記述で得られた心理学についてのイメージは、ここからきているのだと思います。
ターニングポイントとなったのは、1998年です。
当時、アメリカ心理学会会長だったセリグマン博士が「ポジティブ心理学」という学問領域を創設しました。
その年のアメリカ心理学会の広報誌“Psychological Today”の中で、「これからの心理学は、人の短所と同じように長所にも関心をもち、病気の人の治療と同じように、人々の人生をより充実させることにも関心をもつ」と提言したのです。
ポジティブ心理学で扱われるテーマは多岐にわたります。
喜びや安堵、平穏、熱狂といったポジティブ感情、強みやなどのポジティブな特性や、楽観性、希望を持つことといった認知傾向、親密性や感謝、思いやり、共感性といった対人関係……この20年で驚くほどの広がりを見せ、それは今も続いています。
活動の広がりは、心理学だけにとどまりません。
よい人生や人間の強みについて科学的な研究を進めることが、今の世界が抱える紛争や飢餓、環境問題等を克服する手立てとなりうるとして、注目を集めています。
ポジティブ心理学は、決してこれまでの心理学を否定するものではありません。
カウンセリングの理論で大事にされてきた考え方にはポジティブ心理学と重なる部分も多くあります。
一方で、ポジティブ心理学をベースにしたワークショップなどを実施していると、「ポジティブさの引力」のようなものを実感する瞬間も多くあります。
「組織の課題や問題点」をテーマにした議論よりも、「組織の強みや良いところ」をテーマにした方が、意見の出やすさや量、議論の白熱っぷりが違うのです。
これは、個人にも言えることで、私たちは、自分の欠点を見るよりも、長所や強みに注目する方がエネルギーが湧いてきます。
ついつい、なんとかしなければいけない問題の方に目が向きがちですが、同じように強みにも目を向けると、次に向けての活力が湧いてくるのです。
もうひとつ、このエピソードから思うことがあります。
心理学の世界で、セリグマン博士といえば、「学習性無力感」で有名な心理学者でした。
私も心理学を専攻したばかりの大学1年生の教科書で、その名前を目にしました。
「学習性無力感」は、自分では回避も抵抗もできない強いストレス状況のもとに長期間おかれると、人間は「自分にはどうすることもできない」ということを学習して無力感を抱く、という現象についての研究です。
学習性無力感の研究は1967年でしたが、それから20年後、まるで別のベクトルからの提言を投げかけたのです。
あの学習性無力感で有名なセリグマン博士がポジティブ心理学!と私も最初は驚きましたが、このことを思い出すと、私たちの人生はいつでも、方向転換したり、新しいことを始められるのだな、と励まされるような気持ちになります。
【参考文献】
・松井 三枝(2000).はじめて学ぶ「心理学」に対するイメージの変化──「心の科学」受講前後の調査から, 研究紀要 富山医科薬科大学一般教育, 23, 63-68.
・セリグマン博士のTEDトーク
“The new era of positive psychology”
・Seligman, M.E.P. 1998 Building human strengths: Psychology’s forgotten mission. APA Monitor, 29, January, 2.